Blue willow のある食卓
ーEveryday with Bluewillowーー
眺められるしあはせ 先日、久しぶりに萩を訪れました。 欠けたり、割れたりで 不揃いになってきた飯碗を選ぶのが目的。 家族それぞれ気に入りのものを購入し、 私は美しい形と色の萩焼の高杯も。 萩まで来たのなら、とお隣の三隅町まで足を伸ばして 香月泰男美術館へ。 香月といえば、シベリア抑留時の体験を描いた作品がよく知られていますが 帰国後の彼は、ふるさと三隅町に戻り そこに在る小きき佳きものも、たくさん描いています。 企画展のテーマは、「眺められるしあはせ」 彼が「ここが私の地球」と呼んだ、 自宅周辺の自然や食べものなどをモチーフにした作品群の展示です。 「私は毎年のことだが、今年も庭の椿を描いている。 ただ椿の花の咲いているのが 眺められるしあはせのしるしとして描いている。」 そんな言葉も紹介されていました。 シベリアでの過酷な体験があっただけに、 「眺められる」掌のしあはせは どんなにかかけがえのないものであったことでしょう。 「 店先にチェリーが並ぶ季節になりました。 アーモンド粉のケーキに焼き込んで いつものウィロウで、いつものしあはせ。 (2019.6.08) この春、高校3年生になった娘は 朝、6時過ぎに家を出るようになった。 始業前に、ひと頑張りするのだそう。 6時にお弁当を渡す、というのは なかなかハードではあるけれど、 ポジティブな空気は伝染するみたい。 寝ぼけ眼で準備を始める朝も、 詰め終わる頃には、不思議と元気になっている。 恐るべし、17歳パワー。 応援しているつもりが、 結局、応援されているようなものである。 さて、お弁当の袋には、なにかしら甘いものをしのばせる。 放課後は放課後で、部活で遅くなるから ちょっとつまめるsomething sweetがあれば あと一踏ん張り、の力になるものね。 お店で選ぶのも楽しいし、 次は何を作ろうかと考えるのももちろん! 今日は、娘の好きな味をダブルで 抹茶とホワイトチョコレートのクッキーを。 一生に何度か、がむしゃらにひた走る時があっていい。 すぐに結果につながるとは限らない。 でも、身につけたことは 長い人生のどこかで、 きっと自分を守ってくれる。 支えてくれる。 そんなことを思いながら、 お弁当袋にクッキーをしのばせ、 今日も朝6時の「いってきます」を見送った。 (2019.5.27) 連休の最終日は、映画「My Bookshop」を観に行きました。 1950年代のイングランド東部が舞台。 書店のない田舎町に書店を作ろうと奮闘する フローレンスが主人公です。 原作はブッカー賞受賞作家、ペネロペ・フィッツジェラルドの 「The bookshop」 原作の本質からすると 日本での映画の宣伝やコピーの文言には 少し違和感を覚えずにはいられませんでしたが、 映画自体は、味わい深い作品に。 抑えられたトーンで展開していく物語が 古色蒼然とした港町の風情と相まり、 容赦ない現実が、一層、胸に迫ります。 役者陣も、魅力的でした。 フローレンスが数少ない彼女の理解者と 真の言葉を交わしたのが、お茶のテーブルで・・・ というのが、なんともイギリスらしい。 そんなこんなで、 映画の余韻を楽しめるものが作りたくなった次第。 スコーンが映画のお茶のテーブルに登場していたかどうかは 覚えていないけれど。 She knew perfectly well, sitting in the dull afternoon light, with the ludicrous array of slop basins and tureens in front of her, that loneliness was speaking to loneliness, and that he was appealing to her directly. (フローレンスは午後の鈍い光のなかで椅子にすわり、 茶こぼしの容器や鉢が雑然と並んでいるのを見ながら、 孤独な魂が孤独な魂に語りかけてきて、 ブランディッシュ氏の言葉がじかに胸に響いてくることを、 はっきりと理解した。) The Bookshop by PENELOPE FITZGERALD Flamingo 訳 山本やよい (2019.5.10) |