Blue willow のある食卓
ブルーウィロウと英国
ブルーウィロウが英国で作られはじめたのは18世紀中頃。
もともと その文様は当時の東洋趣味(シノワズリー)にのっとって
中国から英国へ渡った楼閣山水図の陶磁器のものだとされます。
しかしこの文様にこめられたストーリー、
すなわち今ではよく知られている お皿に描かれた悲恋物語そのものは
中国からのものではなく 英国人が作り出したものだとか。
スタフォード地方に伝わる下記の古い歌にもとずいて
この物語が作られたとの説もありますが
なんとなく英国伝承童謡マザーグースにも似た
面白い言い回しのある興味深い歌です。
二羽の鳩が空高く舞い
中国の船は流れに棹さす
柳は泣いているように枝を落とし
橋上には四人ではなく三人の男達
中国の寺院が立ち
すべてを支配してみえる
実をつけたリンゴの木
私の歌を終わらせる愛の囲い
ブルーウィロウをいち早く生産しはじめたのはスポード社。
英国でのブルーウィロウの歴史イコール、スポードのブルーウィロウの歴史と
いえるほど それは古い歴史を誇るものです。
リバプールに住むジョン・サドラーという人が発明した
銅版画を転写する技法でブルーウィロウは作られているのですが
後に この手法に改良を加えたのがスポード社の創始者、
ジョサイア・スポードやトマス・ミントン。
こうしてブルーウィロウは銅版転写という形で広まってゆき
英国だけでなくヨーロッパ諸国にまでその人気を誇るようになります。
そして18世紀当初は限られた上流階級だけのものだったブルーウィロウも
修理や保全などの過程で絵柄がコピーされることによって
英国文化としてしっかり定着、
今や 幅広い層の人々に愛される器のひとつとなったのです。