あなたのすべてが知りたいの!
とばかり 英国についてのあらゆる本を手にとっていた時期もありました。
今 時間とともに本当に自分の求める物が分かってきて、
少しは興味や感性も淘汰されて、
それでも手元には本棚1つぶん。
けれども もしその中からどれか一冊ということになれば
迷わず この一冊ではないでしょうか。
吉田 健一 著 「英国に就いて」
明治生まれ、昭和初期を英国にて過ごした吉田氏のしたためたこの本、
出版は昭和49年という古い本ですなのですが
未だかつて これほどまでのエッセイに出会ったことはありません。
それは一語 一語、 一文 一文
まるで上等なお酒をゆっくり飲むように味わいたい一冊で
一気に読んでしまうには
あまりにも rich & mellow.
もったいなくてそんなことできません。
消化不良のおそれだって十二分にあります。
このエッセイ、気候や食文化、絵画や文学など
さまざまなテーマ別に書かれてはいるのですが
「英国において 文化は生活の別名である」
という著者の英国観が全体を通してしっかりと貫かれています。
曰く、「英国の文化を扱う時には普通に文化というものの要素をなすと言われている
文学、美術、音楽などと同じ重みを 生活様式とか風俗とかに置いて
考察しなければならなくなる。」
これは私にとって 本当に印象的な一文でした。
感じていながらも 言葉にできなかったことを
代弁してもらったような、恐れ多くもそんな気持ちになったのです。
生活そのものが文化。
つまり日常、または日用品の文化について こんな下りがあります。
たとえば 食器。
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金銀を用いたものは既に専門家の間で有名であるが、
金器銀器を用いるほどではない身分のものの為に、
英国では早くから錫と鉛の合金の白鑞(*ピューター)で
皿その他の器を作る技術が発達し、これも単に低い身分のものが使う安物ではなくて
その代表的なものは、これを蒐集している人たちの目から見れば
シェラトンやヘップルホワイトの家具に匹敵する。
もし英国製のこうしたものについて、そういう言い方が許されるならば美術品であり
それ以上に今日でも立派に使用に堪える。
そしてこれは当然、英国の銀器、金器についても言えることで
その魅力は それがいかに高価なものであっても
普通に用いて初めてその味がでてくるところにある。
英国の食器も、それをガラス箱に入れて眺めるものであるよりは
使い込まれて人間の生活に溶け込み、ほとんどその存在を消すものであって
そこに英国の文化に特有の優しさが認められる。
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たとえば 家具。
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英国人が自分の家にいて そこで自分と自分の家族が生活し
友達をそこに呼ぶのに適したものということで 英国の家具は発達した。
それで実用的ということが頭に浮かぶが この言葉が連想させるものはこの場合不充分であって
本当に実用に堪えるものは、ただそれだけではないはずである。(略)
もし自分の廻りに置いて 始終使うのに適したものならば、たとえば椅子も
ただ座り心地がいいとか堅牢であるとかいうだけのものではない筈であって
部屋はその椅子があるのでその辺が明るくなるのでなければならず
それを使い込んでの光沢がその椅子を美しくする必要がある。
しかしそれは腰掛ける為のものであるから、腰掛けられるというのが
第一の条件であることに変わりはない。
フランスのルイ14世式、摂政制時代式、あるいは帝政時代式などの有名な家具と
英国の家具の違いもそこにあって、フランスあるいは一般にヨオロッパ大陸のめぼしい家具が
まず 豪箸、あるいは優美、というのは要するに視覚的な効果を狙ったのに対して
英国のは単に堪えることを目的とし、その意味で正確に実用的だった。
それは大陸の家具に見られない優しさが英国にはあるということで
これは行き届いた客扱いをすることを心得ている主人の優しさであり
結局は親切ということに尽きるかもしれない。
一般に親切などというものは美の体系には加えられていなくて
ことに知的な要素などということを持ち出せば
親切は馬鹿な人間がすることだから醜いという論法まで成立しかねない。
しかしながら 行き届いて親切であることは、実際には馬鹿にできないことで
充実した生活を支えているのと同じ論理が一箇の家具にまで浸透しているのを見る時、
我々はそれらを美しいと感じ、それ以上に安らぎを覚える・・・・(略)
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そして そういった日常の英国文化、ひいては英国人の気質と自然の関係などが
興味深い深い筆致で描かれているくだりもあります。
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ヨオロッパ大陸のスイス、ドイツ南部、あるいはイタリイの自然の雄大、あるいは奇異、
あるいは絶佳なものはそこには見られなくて
すべては穏やかでこじんまりしていて落ち着いている所に魅力があり
眺めていて圧倒されることも陶酔させられることもない代わりに
飽きることもない。
また冬になれば その青や緑が一変して灰色になり、
凍りついて金属の冷たさを帯びた世界が出現するのも英国人の人生観と一致している。
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また氏のエッセイでは
薄味な英国料理と気候との関係、
あれほど厳しい英国の冬が なぜ他国と比べて
「あたたかな」イメージなのか、
そんなことにまでが感傷に流されず さらりと冷静に書いてあり
思わず にやり。
信じていいのやら、笑っていいのやらなんて箇所もたくさん。
でも いいんです、筆者だってこう書いているんですから。
「ただ それだけのことで それ以上でもそれ以下でもない」
ここ数年の日本における英国ブームのあと
ありがちなことですが、やおら英国批判が始まりました。
でも そんなことは表面的なブームにふさわしい
表面の批判のような気がしてならなりません。
ガーデニングとアフタヌーンティーばかりが
この国の魅力だとしたら
これほどまでに多くの人を引きつけることはないはずです。
実際に足を運んで英国を知った人にリピーターが多いと言うことも
一回見たから もういいや、という次元ではないものが
確実にそこには存在するということを物語っているのではないでしょうか。
このエッセイを読むと そういった奥深い所での本当の
英国の魅力について考えずにはいられなくなるのです。
古いけれど決して古くないエッセイ。
そして古いけれど 決して古くない英国。
これは 自分がなぜこれほどまでにこの国に惹かれるかという秘密を
ひとつひとつ解き明かしてくれる、大切な一冊なのです。
・「英国について」 吉田 健一 著
ちくま文庫 筑摩書房