これまでの人生の中でただ一度、
自分の中でわき起こる想い、いわば恋心を
文章に熱く綴ったことがあります。
思いの丈を書き尽くしたので
最後の一言を書き終えたときには、
「たとえこの思いが受け入れられなくても 私は満足だ」
と心から思えたほど。
また 文章を書くということに限らず
これほど何かに徹底的に夢中になれたのは
本当に久しぶりだという充実感で満たされていました。
大学3年の冬のこと、
某新聞社の英日版20周年記念に行われた
‘英国招待エッセイコンクール’で
その応募作品を書き上げた時のことです。
「書いてみたら?」
コンクールの告示がされた記事をもってきて
私に薦めてくれたのは友人でした。
記事を読むと、
英国に関わることならば テーマはどんなことでもよいこと、
入賞者には新聞社と英国政府観光庁によって
一週間の英国旅行に招待してもらえること、
などが分かりました。
当時の私は、むくむくと大きくなる英国への興味で
なんとか渡英したいという想いを募らせてはいましたが
その気持ちに反して バイト代はちっとも溜まらず じりじり。
ですから‘もし このコンクールで入賞すれば・・・’
そんな期待が 迷うことなく私にペンをとらせたのです。
また、自分の想いをきちんとした文章にするということで
それまで漠然と憧れ続けていた英国と自分との関係が
はっきりするのでは、という挑戦にも似た気持ちもありました。
こうして私は 原稿用紙15枚、
書きたいことを全部詰め込んで
一気にエッセイを書き上げました。
200%自分の想いを書き尽くしてやろう、
そんな向こう見ずの気迫は
やがて春が来る頃、
一本の電話と共に 実ったことを知らされます。
幸運なことに私も入賞者4人の1人として
選ばれたという嬉しい知らせでした。
そしてその夏、
見ず知らずの、
しかし英国への恋文をしたためた、という共通項を持った
10代から50代までの4人が
成田からヒースローへと飛び立ったのでした。
熱い思いで恋文を書いた時、私は20才。
あれから もうすぐ10年が過ぎることになり
若さにまかせ むき出しの恋心をぶつけた
昔のラブレターを読み返す勇気は 今の私にはありません。
それどころか あれほど根を詰めて仕上げたというのに
どんな文章だったのか おぼろげな部分も数多くでてきたほどです。
ただ 強烈に覚えているのは
ひたすら一生懸命 想いを伝えようとした、という事実。
そして、
原稿用紙を前にしていた私は
「この想いを きっと分かってくれる人がいる」という
不思議な強い確信に支えられていた、という事実なのです。
ここ数年のネットの普及で
英国に目を向けている多くの方と知り合いになれました。
英国、と一口に言っても
その思いの傾け方や、方向はさまざまですが
彼らとのやりとりから
確かに感じ合える! 通じ合える!という実感を得る度に
えもいわれぬ喜びを感じます。
又、私自身が英国を主テーマとしたホームページを作り
英国のことを気軽に綴れる機会を持てた今、
キーボードを前に いつも胸にあるのは
あのエッセイを書いていた時にも似た
「この思いを きっと分かってくれる人がいる」という思いに
他なりません。
しかもあの時よりも、その確信度は更に高まって!
はじめての恋文から10年。
次に書くことがあればもう少しスマートに思いを伝えたい、と思いながら
私の想いを受け止めてくれる人々に感謝しつつ
この掌のエッセイで 文章修行を楽しんでいるのです。