すりきれかけた一本のビデオテープがある。
端のめくれたレーベルには
13年前の日付。
時々、思い出したように見たくなり、
そして見るたびに「もう、これが最後かもしれない」
そう思うくらい古くなってしまった、
英文科の研修旅行をおさめたビデオだ。
おもむろにはじまるその映像は
あっちへ向き、こっちに飛び、
不安定極まりないけれど
それも仕方ない、と思う。
ビデオカメラを持たずとも
降り注ぐ光と、したたる緑に囲まれて
視線も気持ちも、もう ふらふらなのだから。
ケンブリッジの初夏。
それは、なにもかもが輝きを増す、
祝福された季節だ。
そして私はそこに、居る。
木陰のベンチに腰をかける。
小気味よい音をたてるスプリンクラー。
小鳥たちのさえずり。
木漏れ日が 風景に一層の濃淡を加え、
微かな花の香に
ふと気が遠くなるような気さえする。
目を閉じてなお、幾重にも瞼にゆれる緑。
そもそも、これほどの緑という色を、今日まで知らなかった。
こんなに静かなのに、こんなに眩しいのは
一体 どうしたことだろう。
ミルトンがこの場所に学んだのだ、
先生がそう話しているのを、
目を閉じたまま、
それ自体どこか遠いお話のように聞く。
心の声を、ノートに写し取ろうとしてみる。
言葉にならない。
ならば、とカメラを向けてみる。
何枚撮っても、物足りない。全然足りない。
観念しよう。
今はただ ここに座っていよう。
詩人にも写真家にも私はなれない。
そう思ったとき、先生がひとりごとのように呟いた。
「彼は・・・」
風があらたなる香りを運んできた。
「ミルトンは、ここに楽園を持ったのかもしれないね」