「The Tiger Who Came to Tea」
JUDITH KERR
(Collins Picture Lions)
まず、この美しい表紙!
鮮やかにしてシックな色合いの絵を
金色の縁が
まるで額縁のように大切に囲っています。
大きなトラにやさしいまなざしを向ける女の子の姿も
印象的。
そしてそれと同じくらい、隣に座るトラも また。
そう、このお話のやさしさは、
この表紙にぎゅっと凝縮されているのです。
お母さんと女の子とのティータイムに
突然やってきたトラは、
おうちの食べ物を全部たいらげてしまいます。
もちろん無理矢理に、ではありません。
一緒にお茶の時間を過ごさせてほしい、と頼むその口ぶりは
とても丁寧で、礼儀正しい。
お母さんも女の子も、
だから、快くお茶のテーブルを囲むことになるのです。
それでも、そこは大きな大きなトラ。
食べ物だけにとどまらず、
蛇口のお水まで飲んでしまったものだから
トラが帰ってしまうと
家族の夕食はないし、お風呂にも入れない。
二人が困っていると、帰ってきたお父さんが
さらりと解決策を打ち出してくれるのですが・・・・。
決して特別なことではありません。
けれども、彼らの自然体なふるまい、その大らかな心持ちに
私達もまた、嬉しく夜道を歩くことになるのです。
初版は1973年。
私がまだ1歳だった頃から
長く愛され続けてきた一冊です。
描かれている服装や食器などは
その色味やデザインが、なつかしく
古い写真集や
アンティークショップの棚を覗く気分になる一方、
彼らがレストランで食べるメニューが
’lovely supper with sausages and chips and ice cream’であることに
思わず「今と変わらない!」なんて
かの国の頑固な食生活ぶりに
くすっと笑みがこぼれるでしょう。
*
「ひそやかな村」
ダグラス・ダン
中野 康司 訳
(白水Uブックス)
なぜか、無視できない短編集なのです。
好きだとか、感動したとか、
そういう感想は決して持てないのですが
それでもなぜか、どうしても気にかかる一冊なのです。
はじめて出会ったのは、2年前のこの季節でした。
日ごと、秋が深まってゆく中
臨月のお腹を抱えて、
来るべき日への期待と不安で揺れていた頃。
裏表紙 に添えられた一節
「澄み切った湖、居心地のよい旅籠、花々の咲き誇る庭・・・
そんな風景を抱いて静まりかえる村々と
そこに生きるちょっぴり風変わりな人々」に惹かれて手にしたのに
実際、読み始めると、
どこかよどんだ空気が、文章から漂っているような気がして
なんとなく なじめない。
短編ならではの勢い、というようなものも感じられず
ただ ぼんやりと文字を追うのみ。
陣痛がはじまった夜も、
のろのろと、行きつ戻りつページを繰っている時で、
その後、
産院へも、大荷物で里帰りから戻ってくる時も
バッグにしのばせたものの
結局 読むことはありませんでした。
ところが、先日
ふと気まぐれで読み始めてみたところ、
少しだけ、二年前とは違う手触りを感じました。
確かに、漂う雰囲気は変わらない。
日の当たる場所、ではなく、日陰の風景。
読み手にはわくわく、どきどき、の
高揚も興奮も許されない。
でも、’ここには確かに、人というものの偽りない姿がある。’
今年の私は、そんな印象を受けたのです。
誰の中にも必ずひそんでいるであろう影、
といっても、大それたものではなく
ささやかで、ありきたりなもの。
例えば それは 諦めや、傲慢や、虚飾。
目に見えず、隠し持つことができるものだけに
もしかすると、それらはより翳りを帯びていて
本人、または回りの人にとってやっかいになりうるもの。
そんなものが
決して、特別なこととしてではなく、
また、それ以上でも以下でもなく
ただ、ありのままの形で息づいているような気がする、と。
もしかすると、この一冊は年を重ねるごとに
より一層、寄り添えるものかもしれない・・・
私自身も又、
自分の中の影と折り合いをつけながら生きている一人として
今は、そんな風に感じています。
数年後も、きっとまたページを開くに違いないでしょう。
最後に、訳者あとがきの引用を。
「知らない人の古い写真を眺めていると、
この人はどんな一生を送ったんだろう、
どんな思いで毎日を過ごしてきたんだろう、と
勝手な想像をしたくなる。
でもまったく知らない人だから、
空想はたちまち立ち往生し、
古ぼけた写真の顔をいたずらに見つめるほかはない。
もどかしい。
そういうときは、こむずかしくない小説を読むのが
いちばんいい。
(略)
ダグラス・ダンは、
穏やかな田舎で穏やかな日常を営むこうした平凡な人間たちの
平凡だけどちょっと変わった心の風景を、
やわらかい皮肉とユーモアでもってさりげなく描き出す。
当世風の仕掛けもなく、
全然新しい小説ではないし、
深刻な主題をぐんぐん掘り下げるタイプでもない。
味わいはあくまでも、
古い暖簾を守る上品な薄味である。
ただし小説でも料理でも、
薄味でいい味を出すことがどれほどむつかしいことかは
言うまでもない。」(中野 康司)
(2003.11.01)
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