「どうしてこうなるんだろう・・・」
冷たい小雨が降る中、私はスーツケースをガラガラ引きずり駅前の道を歩いていました。
衣類の他、ノートパソコン、一眼レフのカメラ、それにどうしても置いてこれなかった本など
荷物の総重量は ゆうに許容範囲を超えています。
時は7月。短い夏が一番美しい季節というのに この寒さ、この雨!
ひっきりなしに走る観光客をのせたオープントップのバスが 泥しぶきをあげて通り過ぎるのを
私は疲れ果てて何台も見送るだけ。
1998 夏、大好きな街バース再訪。
バース大学での夏期講座を受けようと意気揚々とのりこんでいった私の気持ちは
すでにぺしゃんこになるほど その年は寒くて雨の多い夏でした。
リスニングの為に買った安い中国製のラジオの天気予報では毎日「unusual
summer」と流れる始末。
どうにかたどり着いた大学の寮は これまたヒーターの効かない寒い部屋で
重ね着をして ベッドにもぐってもあまりの寒さでちっとも眠れない。
そんなこんなで まずブランケットを買いに行くことからはじまった1ヶ月のバース生活、
それは決して長い期間ではありませんでしたが 英語の勉強というよりも、
さまざまなことを考えるきっかけを与えてくれたという点において、
そしてバースという町に暮らせたという事実そのものの点において、とても貴重な30daysでした。
「北のフィレンツェ」とも呼ばれる美しい街バース。
イギリス南西部に位置するローマ時代からの温泉地としても有名な保養地です。
「高慢と偏見」などで知られる18世紀の作家ジェーン・オースティンは
「Who tired of Bath!」(誰がバースに飽きるだろうか!)
とその魅力をたたえ、自らもこの街に居を構えたほどですが
私もまた、この街にすっかり魅せられた一人。
背の高いジョージア調の建物が美しく建ち並ぶバース、
そこはいわば町全体がアンティークで 見どころたりえるのですが、
その中でもいわゆる観光名所として名高い所は
Roman Bath Museum(ローマ時代の風呂の遺跡)をはじめとして 町の中心部に集中しています。
でも 町中はいつも観光客でごったがえし、せわしない。
地元新聞に”観光バスが市民をひき殺す!”なんてショッキングなタイトルが踊るほどで
人混みが苦手な私には あまり心地よいものではありませんでした。
もっと静かに、そしてじっくりバースを楽しみたい!
そこで たどりついた場所がPrior Park。
ゆるやかな丘を利用して作られた広々とした18世紀の英国式庭園で
ケイパビリティ ブラウンや詩人 アレキサンダーポープの助言の下造られたものを
今はナショナルトラストが管理しているものです。
当時の庭造りのブームにならい、パラディアン様式の橋や湖、グロットまでがある庭園そのものも素敵ですが
そこから見るバースの町並みは それはもうため息がでるほど美しい。(写真参照)
町の喧騒もここには届かない。
心地よく吹き抜ける風の中、気儘に歩いて、
好きなところで立ち止まり、座り込み、ときに寝ころんで
眼下に広がる蜂蜜色のバースを 一人心ゆくまで眺めていられるしあわせ。
規則正しく、左右対称に整形されたフランス式の庭園様式から、’より自然であること’に重きを置いた
英国式庭園への脱却を遂げた18世紀には「自然は 直線を嫌う」という言葉も残されているのですが
実際、その中に身を置いてみると体も心も うんと自由になったようで気持ちがいいのです。
アクセスもとても簡単。
町のバスセンターからバスで10分もかからないくらいで
歩いて行くことももちろんできますが
上り坂なので 行きはバス、帰りは徒歩で、というのが私のパターンでした。
さて、もうひとつ個人的に一番思いで多く好きな場所はSouthdownという住宅地にある公園です。
日曜日の夕方には行って、手紙を書いたり 本を読んだり、ただぼんやりしたものです。
なんということもないただの空き地ですが、
公園に立つと右手にバースの町並みが 左手に郊外の田園風景が望め
それはお気に入りの場所でした。
なにもないこと・・・それがなによりでした。
そこにあるのは ただ古い石の町とどこまでも穏やかな緑の丘。
動きがあるとすれば、遠くの牧草地に点在する羊たちくらいでしょうか。
大げさで目を見張るものは何もない。
でもそれこそがなにより私が惹かれる光景だったのです。
いつまでも見ていたく心が満ちてゆく、それは私個人の「楽園」そのものでした。
この町で暮らした日々は楽しいことだけではありませんでした。
観光客気分で浮かれて駅を降りた私を打ちのめしたものは予期せぬ気候だけでなく
異国で生活をするということで対面せざるを得なかった自分の未熟さでもあったのです。
憧れ続けたこの町で みじめに立ちつくしたのは雨に降られた初日だけではありません。
町がにぎやかであればあるほど、日射しが明るければ明るいほど
自分の影が薄くなる、そんなうつろな喪失感を感じることもありました。
それでも、ひとり丘に登り、愛すべきバースの町並みを見下ろす。
なにもない中で深呼吸する、自分が本当に何が好きなのかを体中で確かめる、深呼吸する、
そしてまた、活気あふれた街へ降りてゆく。
さっきよりも少しだけ元気になって・・・
やはりバースは地上楽園、なのかもしれません。
*’地上楽園バース’という表現は、恩師 小林章夫先生の同名の著作から拝借させていただきました。
「地上楽園バース」(岩波書店)は近代イギリスの社会の流れの中で バースがどのような役割を果たしたかを知るには有意義で興味深い一冊です。