三度通って、英国アンティークのドレッサーを買いました。
一度目は ただその魅力に溜息をついただけ。
まさかそれを自分達が買うなんて思いもしませんでした。
二度目に店を訪れたのは、それから数ヶ月後。
ふとそのドレッッサーと自分達の生活を思い描いてしまったのがはじまり。
それは抗しがたい魅力にあふれていて、大きく心が動きました。
そして三度目、実は二度目に行った翌日だったのですが
すっかり気持ちを固めて 私達は又、お店へと車を走らせていたのでした。
もちろん気軽な買い物ではなかったので
オーナーの方とも時間をかけて話し込みました。
そして今「縁会って出会った」そのドレッサーが我が家にあります。
そう、まさにこのドレッサーとは「縁」といってもよい出会いだったと思います。
というのも、もしこれでなかったら
自分達の家にドレッサーを置くなんて 想像もしなかったと思うからです。
ドレッサーというのは、鏡台のことではなく
よくヨーロッパの田舎屋の台所などに置いてある、食器の飾り棚のことです。
大きなパイン材のドレッサーに、
家主のお気に入りであろうお皿が並べてある光景は それまでも見たことがありましたが
それが素敵なのは、それが似合うしかるべき場所、
すなわち広々したカントリーキッチンにあるからであって
それを家具だけそのまま日本に持ってきても 不釣り合いのように思っていたのです。
ところが私達が出会ったのは、これまで見たことがないほど 小ぶりで端正なドレッサーでした。
ドレッサー特有の大げさな感じがなく、
日本の暮らしや調度品とも違和感なく共存しそうな雰囲気で
さりげない佇まいでありながらも
確固たる存在感と品の良さを備えもっています。
また、オーク材の落ち着いたダークブラウンも気に入りました。
これまでに揃えていた他の家具も全て同じ色なので
部屋の雰囲気を損なうことがないと思ったからです。
こんな風にして 我が家にやってきたドレッサー。
果たして!
それは思っていた以上に私達の暮らしにすんなり溶け込み、
(不思議なことに、家に運び込まれた日から
それはもう何年もそこにあったような感じだったのです)
時を経たオークのシックな焦げ茶色が
朝夕の光の加減でさまざまな表情を見せてくれ、
見るたび、使うたびに 幸せな気分になるのです。
「時が経てば 全てのものが古くなるわけではないのだ」
長い間、古い車を愛でてきた万蔵氏の言葉は
それすなわち「古ければいいというわけではない」ということでもあります。
それがどうして時を経て、今の時代にまで受け継がれてきたかという
その物語、その必然性を持つものだけが
魅力ある「古いもの」になれるのでしょう。
このドレッサー、
英国のどんな地方のどんな家庭で
使われていたのでしょう。
どんな理由で持ち主が手放して、どんなルートを辿って
こんな極東の国までやってきて
私達と出会ったのでしょう。
今度は私達がこのドレッサーと大切に暮らすことによって、
その物語を引き継いでゆくのだと、
そして それがアンティークとの暮らしの愉しみだと
私達は思っています。