英国小景
雨宿り
どのくらい ここにいただろう?
すりきれた背表紙、手垢や落書き、誰かのサイン、
しめっぽい本に囲まれて
ひとつひとつ その時の重さに息をのむ。
セピアの肖像、季節ごとの草花
あるいは むかしむかしのこの町の風景、
ダンボールに詰め込まれた古い絵葉書に
ひとつひとつ 思いを寄せる。
どのくらい そうしていただろう?
ふと 鐘の音で我に返り
一冊と一枚を 寡黙な店主に急いで手渡した。
カランとベルのなる扉を開け、
おもての空気を吸い込むと
鐘の音はいっそう大きい。
ほこりっぽい古本の中で
随分と長い旅をしてきた気分だ。
本の包みを握りしめたまま 大きく伸び。
体のあちこちが痛むけれど
長い時間 不自然な姿勢で異空間を彷徨っていたのだから
致し方ない。
雨を含んだ石畳から 水蒸気がたちのぼり
丘の上の教会からは
鐘の音が
あとから あとから降り注ぐ。
ゆっくりと坂を下ってゆこう。
しばしの旅を楽しんだ重厚な世界からは
ゆっくりと解放されたい。
時間をかけて現実に戻りたい。
それにしても まったく
古本屋で雨宿りなんてしてはいけないね。
お天気になったことにさえ気が付かなくて
ちっとも本当の旅が進まないから。
さあ、あの角を曲がれば大通り。
賑やかな町と行き交う人々が
私を待っている。
雲はいつしかきれぎれに、
明るい光が満ちている。
Rye 2000