Blue willow のある食卓
ーEveryday with Bluewillowーー
昭和初期に建てられたゴシック様式の教会。
一歩足を踏み入れると、少し ひんやり。 回りの温度がちょっぴり低くなったように感じるのは気のせいではないだろう。 産声をあげた大正13年以降、 大空襲と阪神大震災という二度の災禍をを乗り越え、 神戸の地でずっと、ドイツパンを焼き続けてきたベーカリー、 それが この教会のお店、フロインドリーブだ。 一階は、パンと焼き菓子を売るフロア。 二階の高い天井と大きな窓が清々しい空間は カフェ。 休日はかなりの賑わいがあると聞くけれど、私達が訪れたのはウィークデイ。 この佇まいにふさわしい静かで落ち着いた時間が ゆっくりと流れていた。 旅の途中でなかったらなあ・・・ 美味しそうに並べられたパンの中から、何かを選ぶのは本当に難しい。 旅先でなければ、もっと買えるのに・・・ 散々迷った挙げ句、自宅用にソフトグラハムをハーフで購入。 翌朝は、そのままでサンドウィッチ、その次の日は、トーストしてBLT。 全粒粉の香ばしさと、ほどよい噛みごたえが絶妙で 具だくさんのボリュームサンドなのに、 するするとお腹に入ってゆく、満足の朝食。 こちらは、おやつに買ってきたシナモンロール。 コーヒー好きな私は、コーヒーと相性のよいものが大好きで シナモンロールも ベーカリーで、コーヒ−ショップでと 見かけると手に取らずにはいられないもののひとつ。 フロインドリーブのシナモンロールは しっかりとした生地が さすがパン屋さんのものだと思わせるもの。 アイシングの甘さが旅の疲れをほどいてくれて こちらも大満足。 (2004.5.29)、不思 |
「夢」というと、おおげさかもしれないけれど 料理はやっぱり「夢」みたいなものだと、 いまでもわたしは考えている。 食べたいものをこしらえる。相手に食べさせたいものをこしらえる。 それは夢を描いて、そのただなかに飛び込む楽しさそのものなのだ。' GWに読んだ本の一節だ。 少女だった頃の作者にとって初めての夢は 南瓜のそぼろ煮。 夢みて、憧れて、はりきって作ってはみたものの大失敗! 計量や手順の大切さを思い知らされることになるわけだけれど 夢を持って台所に立ったその時のことを 彼女はしっかりと覚えていて、 料理の本を書かれるまでになった今、こう記していらっしゃるのだ。 ‘けれど、台所に立つにあたり、忘れてならない大切なものといえば、これ。 夢みる気持ち。 これを読んだ時の気持ちを言葉にするのは ちょっと難しいけれど それこそ、ちょっと夢心地のぬくもりを感じたように思う。 日々、三度三度の食卓を預かるということは 実際、「夢」という一言ではくくれないほど大変なことだ。 けれども同時に、毎日台所に立っていると 料理が‘夢を描いて そのただなかに飛び込む楽しさそのもの’だということを 実感として感じる瞬間も用意されているわけで それは確かに、料理の愉しみであり、幸福だと思える。 だから料理は嫌いではないけれど、 決して得意というわけではなく ああ、面倒だ・・・と思う日だって少なくはない私に その文章は根っこのところで‘大丈夫だよ’と微笑みかけてくれるような気がして 私はあたたかい気持ちに包まれたのだ。 大丈夫だよ、夢見る気持ちがあるならね、って。 今夜はグリーンアスパラをメインに じゃがいもや玉ねぎも入れて 春のポタージュを。 とろんとした若草色のポタージュを注ぎながら、 夢見る気持ちも又、ウィロウに注ぎ込む。 因みに、その本にはこんなフレーズもあった。 ’何を食べようかなあ、と思う気持ち、何を読もうかなあ、と思う気持ち。 このふたつはよく似ている。 究極的には、美味しいものが食べたかったり、読みたかったりすることにはなるが だからといってそれがそう単純な話でないところも、実によく似ている。 食べたい気分、読みたい気分には、複雑な面がある。’ う〜ん。言い得て妙。 同じ口にするものでも、同じ言葉の連なりでも、 美味しければいい、本であればいい、という訳では断じてない。 気分にぴったりとくる一皿があり、一冊がある日は だから、ごく単純に嬉しく 満たされた気がする。 それでもってその作者、その日の読みたい気分は 英国が舞台の佳作カズオ・イシグロの「日の名残り」だったのですって! 「食卓のこころ」山本ふみこ・PHP (2004 5.7) |
♪New York State Of Mind Saving All My Love For You♪ ♪I Left My Heart In San Francisco Exactly like You♪ ♪Fly Me To The Moon All In Love Is Fair♪ 最近気がついたこと。 朝早くに聴くJAZZはとても、とっても、気持ちいい。 心身まるごと、ゆっくりと洗われていくようだ。 窓の外は、萌える季節。 (2004 4.30) |
物に対する好みははっきりしている方で、 好きだ!これは他の物とは違う!と胸の高まりを覚える出会いがある。 記憶に残る中では はじめてそれを感じたのは キキ&ララではなかったかな、と思う。 こんなにかわいらしいものがあるなんて! 心の奥をきゅっとつかまれたくらい、ドキドキして 時折 キキララキャラメルを買ってもらえることが嬉しくてたまらなかった。 平たい形の箱に入ったそのキャラメルには おまけが二つもついていて、 それを少しずつ集めてゆくことが とても楽しみだったし、 年に数度、いとこ達とサンリオショップに行くことも 心躍るイベントのひとつだった。 やわらかな色調で描かれた 空に住む二人、キキ&ララ。 心から かわいいと思っていた。 小学校の高学年を迎える頃、キキ&ララを卒業した ・・・ふりをした。 ちっともかわいいとは思えなかったのに、 私のお気に入りはミッキーマウスであることにしたのだ。 ほんわりパステル調のキキ&ララは子供じみていて 原色で描かれた絵の傍に、英字の踊るディズニーキャラクターこそが 大人っぽくて、おしゃれなものなのだ、と思いこもうとした。 そして、 その思いこみを私は貫いた。 本当はキキ&ララが好きだったのに。 キキ&ララを好きだという自分を 認めてあげなかった。 背伸び、ともいえるだろう。 子供らしい意地の張り方が、なんとも可笑しい。 ** スーパーで、見切り品としてキキ&ララのクッキーが売られていた。 まるで娘に買うような素振りでカゴに入れたけれど むろん、それは私自身のためだった。 懐かしさと、それから なんといっていいだろう・・・ちょっぴりのときめき。 キキ&ララを本当に卒業してから久しく 今の私はもう、背伸びなどせずに 好きなものを好きだということができる。 例えば、ブルーウィロウ。 日本ではほとんど表舞台に立つこともないし。 英国においてさえも、どこか古めかしいアイテムだと分かっていても やはり 私はブルーウィロウのある風景に心からときめく。 |