Blue willow のある食卓
ーEveryday with Bluewillowーー
♪はる はる はるがきた
あったかいはる はる はる もうふなんか けっとばせ〜 にんげんもおどる もうふもおどる まくらもおどる はる はる はるがきた〜♪ 自転車の背中で娘が即興詩人になっています。 けっとばせ〜、がいいなあ! 今日のおやつはフルーツサンド。 やわらかなパン、 そして甘酸っぱい苺とクリームが相まって やさしい春の味です。 ふわっふわで、作りたては切るのも難しい。 只今、親子揃って2週間の春休み中。 普段できないことを 書き出して、 ひとつづつクリアしてゆくのが嬉しくて。 リストアップしていた「美容院へ行く」も実行。 2人並んで髪を切ってもらいながら ふと見ると、大きな窓越しに ミモザがたっぷりと、明るく茂っていました。 ♪くちびるに〜 またまた歌声です。 ゆっくり時間のとれる今は、 簡単なお料理を手伝ってもらうこともよくあります。 今日はコロッケのたねを俵型にしてもらう役・・・・が 気がつけば たねを小さく丸めて 今、まさに つまみ食いせんとす!なのでした。 ♪くちびるに〜 まるい おだんご〜 え? (2006.3.31) |
生地の優しいたまご色が春らしい 橘香堂の‘むらすずめ’は倉敷銘菓。 しっとりとやわらかな生地の中に、 粒あんがくるまれていて 日本茶にも珈琲にもよく合います。 縁飾りに特色のあるウィロウは 1890年代のもの。 この縁飾りのデザインと、淡いブルー、 ディナープレートとケーキプレートの中間くらい、という 使い勝手のよい大きさに惹かれて購入した 我が家のニューフェイスです。 昨年に引き続き、 万蔵氏の作品があかりコンテストで入選し 倉敷の中央通りに展示していただいています。 今年のテーマは、「華」 素材は、アクリルミラーやアルミフォイルなど、 一見、この町にはそぐわないようですが やわらかさと固さ 伝統と革新など 相反することの調和の中に、 古きを大切にしながら 常に新しい試みを続けるこの町を重ねたのだそうです。 鏡面に囲まれて発光する花は、 レンジフォイル! そう、ガスレンジに敷くあのフォイルです。 普通のスーパーの物と、100円ショップのそれとで作ってみて 後者の方が良かったというから面白い。 見ている分には、その違いはあまり分からないとしても 作り手にとっての「絶対に こっち」という気持ち、 譲れないものなのですよね。 歩く、歩く、歩く・・・・ この街に来ると、とにかくよく歩きます。 あたたかな陽ざしに誘われて 今日もよく歩きました。 歩き疲れたら 美術館の隣りにある蔦の絡まるカフェで コーヒーを一杯。 おちびさんは、戸外で桃のアイス。 コーンまで桃色でご満悦。 お彼岸も過ぎて、いよいよ春ですね。 (2006.3.25) |
娘の笑顔が翳っていた。
理由を尋ねても、何も云わず、 お友達からも離れて、 ひとり ぼんやりとブランコをこいている。 園庭の午後。 遠く近くにまとわりついてくる喧噪を、 私もぼんやりとかわしながら そんな彼女を見つめている。 娘と仲良しのお友達が近づいて来た。 これ、もらったのよ、とかわいい包みをかざし 無邪気にその喜びを伝えてくれ、 察するにそれはホワイトデーのお菓子なのだった。 見回すと、数人の女の子達の手にその包みがある。 合点がいった。 そもそも、バレンタインデーの意味さえよく理解していないだろう娘は なぜ自分にその包みがもらえないのか、という気持ちを どこに向けたのだろう。 ひと月前、私がチョコレートを持たせてやれば、 そんな思いをさせることがなかったのだろうか。 正直、考えもつかなかったのだ。 「おうちに帰ってティータイムしようか」 複雑な気持ちを断ち切るように、笑顔を向けると いつになく、娘はすんなりと私の手を握って歩き出した。 「まぶしかったの」 曇った表情の理由を二度目に尋ねた時、彼女はそう言った。 まさか幼い彼女に、そんな、セリフみたいな嘘はつけないだろうから おそらく、本当に陽ざしが眩しかったのだろう。 時には、1人でブランコをこぎたいこともあるだろう。 そうでないと、ちょっとつらい。 三月も中旬というのに、雪も舞う寒さ。 (2006.3.14) |
ロンドンの街角、 観光客向けの雑多なお土産が並ぶスタンドの一角で その小さなピンを買ったのでした。 ユニオンジャックと日本の旗がふたつ仲良く手を取り合って! 学生時代より、漠然と、漠然と、それは私の「夢の形」でした。 以来、このピンはお守りのように傍らにあります。 英国と日本を、「パン作り」という形で繋ぐ方々とお会いしました。 ファームハウス、スコッチバップス、ミートパイ、 スコーン、ショートブレッド、アップルターンオーバー、 ティーケーキ、ジンジャーブレッド、エクルズ・・・ 一日のうちに、こんなに英国のパンやお菓子を食べたことは 滞英中でさえありません。 どのパンからも、彼の地で技術を身につけた方の生み出す 揺るぎない英国の味が広がり、その堅実な美味しさに胸を打たれます。 そして、あらためて思うのでした。 私は、私のやり方で、英国と日本が手を取り合う場所に居たい、と。 未だ、あの頃よりずっと変わることない夢に じっくり、そして堅実に向き合ってゆきたいと思います。 夢の輪郭をそっとなぞることのできた、早春に。 *写真のパイはエクルズ。 クリスマスケーキが贅沢品だったピューリタン時代、 その代用品として食べられたのがはじまりとのこと。 サクサクのパイの中には、ドライフルーツが入っていて あとひく美味しさ! (2006.2.17) |
目の前にピアノ、背後にはベッド。 左には机と本棚がそびえ、右手にチェストが迫っている。 それらに埋もれるように置いてある、こたつ。 いくら狭くとも、こればかりは譲れないらしい。 腰を下ろすと、確かになんとも居心地のよい、 安らいだ気持ちになる。 並んだ楽譜や、迷いに迷っていつも1枚ずつ選んだCD、 夜遅くまで話しこんだお互いの好きな本や、 へなちょこなのに処分できない、幼い頃からの品々。 目に入るものが懐かしく、おこたの布団を顎まで持ち上げて、 「昔に戻ったみたいだね」何度、口にしただろう。 2005年。12月30日。 実に数ヶ月ぶりに休みがとれたという、妹の部屋に居る。 おこたの上で湯気をあげるマグカップは、彼女が中学生だった頃 ピアノの先生にいただいたものだ。 かつて、音楽の道を選ぼうとしていた妹の部屋は 防音仕様になっていて密閉度が高い。 だから、というわけではもちろんないけれど ぎゅっと力を入れて重いドアを閉めてしまうと 懐かしい‘あの頃’も‘あの頃’も’あの頃’も 全て、真空パックになってここには残っているような気がする。 「冬はやっぱり、おこた!」と‘あの頃’みたいに おしゃべりしたり、ビデオを観たり、うたた寝したり。 けれども明けて大晦日、目が覚めると彼女はもう出勤していて 私は母と二人でお節の準備をし その夜、彼女が戻ってきたのは午前3時過ぎ、 つまり新年を迎えて、のことだった。 真空パックの部屋を出たなら やはり時は確実に流れている。 お互いに行き来したはずの‘私の部屋’は、もうないし 妹だって「やっぱりおこた」の時間を、普段はほとんど持てないことだろう。 そもそも、研修の期間が終われば又、この土地を離れる妹と この先、年末ののんびりとした時間をこの部屋で過ごせることなど あるのだろうか・・・ くったりとした白衣が、馴染みない現実として横たわっているだけ。 マドレーヌ型は、母がプレゼントとしてくれたものだ。 金色のはちみつを生地に加えていると 山口を後にする日、父の車から見た風景が思い出されてくる。 弱い陽ざしを受けて、金色に揺れるふしの川沿いの枯れススキ。 全てが変化しつづける中で、変わらない冬の風景だ。 真空パックではないけれど、この金色の束の中にも ’あの頃’や‘あの頃’や’ あの頃’が、揺れている気がする。 (2006.1.25) |