Blue willow のある食卓
ーEveryday with Bluewillowーー
この数ヶ月、心の真ん中を占めていたのは 別れの寂しさ、 そしてそれがもたらす変化への戸惑いや、やるせなさだった。 悶々とした気持ちから逃げ出したくて、一人出かけた映画館。 「人はみな、変わってゆくものなんだよ」 主人公の女性がさらりと、そしてきっぱり そう話していて それは無情であるとか、薄情であるということではなく ‘人も物もすべては変わってゆくのだ’という揺るぎのない事実を ありのままに受け入れる潔さと優しさに満ちていたので 私はその姿に憧れた。 こうありたい、とその強さに憧れた。 そうなのだ、全ては変わってゆくものなのだ。 だから その重さを必要以上に感じることなく そのまま受け止めることができたら、と。 丁寧にさくらんぼの種をとり、 アーモンド粉を使ってバターケーキを焼く。 こんな風に過ごすのは 時間的にも、気分的にも、 随分 久しぶりのことのような気がする。 気がつくと、陽ざしはもう真夏のそれで、 窓の外は、うんざりするくらい明るい。 ケーキが焼ける間、何度も読み返した手紙を、もう一度、読んでみる。 「でも、何があっても日々 前進してゆかなくてはいけないものね。 変わり続けてゆく流れの中で、変わらない、揺るがないものに支えられて ‘変わること’を受け入れていけたらいいです。」 (2006.7.14) |
‘オクスゴッドビー’ その地名を初めて耳にしたのは 今のように、何でもすぐにパソコンで検索できる時代ではありませんでした。 身近に調べられる方法は、全て手を尽くし 果てには、詳しい地図まで取り寄せて 懸命にその地名を探したことが思い出されます。 結局、それはヨークシャー地方の架空の村名だったのですが この‘オクスゴッドビー’こそが、 「A Month In The Country」(ひと月の夏)の舞台。 それは、物語の冒頭で、 雨の降りしきるオクスゴッドビーの駅に降り立った 壁画修復工の青年が 村の教会でひと夏を過ごす物語です。 映画化されたのが、1987年。 原作はJ.L Carrという作家が1980年に発表した小説で Carrはこの作品でガーディアン賞を受賞しています。 BS放送していたものを録画し 一体何度繰り返し観たことでしょう。 その後、再放送はもちろん、 レンタルショップでも見かけることはなく、 すり切れそうなビデオだけを大切にしてきましたが、 先日、それがDVD化されたことを知り、 嬉しくて、嬉しくて、すぐに手に入れました。 戦争後遺症といった、重いトピックを含みつつも |
思いのまま、直に書き付けられたその気持ちは 一様に丁寧な文字のメールとも 時間をかけて綴られた手紙とも違う、 独特のライブ感。 勢いのある字や、時々くしゃっとかき消した後が 書き手の、今まさにこの時の体温をも伝えているようで、 それは、つまり、とても真実に近いところにあるもののようで、 しりきれとんぼ寸前、 ページの最後ギリギリに添えられた「ありがとう」が、 ひときわに嬉しい。 *** 今年もまた、毎日のように Keith Jarrettのピアノが 暮れゆく時間を満たす季節になりました。 週末を待たずに、少しお疲れモード。 今夜は簡単なパスタと、サラダにしよう。 蜜蝋のほのかな甘さが 香るか香らないか分からないほどの加減で 旋律ととけあって 届けられたまっすぐな言葉と共に、 私をあたためる。 (2006.5.11) |
「紅茶は断じて嗜好品ではない」
ワーズワースがそういう言葉を残した、と どこかで読んだか、聞いたことがあって 時折、ふと思い出します。 紅茶はもっと、深いものなのだと。 このロマン派の詩人にとって、 紅茶は、思索の、はたまた詩作の友とも言える 単なる飲み物以上の何か、だったのかもしれません。 イースターには少し早いけれど シナモンとレーズンの入ったイースタービスケットを焼きました。 気まぐれに遊ぶ型抜きには もちろん、桜も。 肌寒い花曇りの午後、 ミルクティーと一緒にいただきました。 お友達が旅のおみやげに、と選んでくれた茶葉は ジョン・レノンもお気に入りだったそう。 彼にとっても、紅茶は特別なものだったのでしょうか・・・ 粉の味を噛みしめるようなイースタービスケットと 熱く、濃い、ミルクティー。 ジョン・レノンの曲の中でも とりわけ好きな「WOMAN」が 頭の中を流れていきます。 週末には、岡山の桜も満開になるでしょう。
(2006.4.06)
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