Blue willow のある食卓
ーEveryday with Bluewillowーー
朝カレー、なんて言葉を耳にしますが 梅雨明けと同時に、容赦なしの夏本番。 夏休みは、小学校恒例の ユニークなキャンプでスタートしました。 家族やお友達と一緒に 体育館にダンボールで自分達の家を作って泊まります。 娘と万蔵氏も、はりきって参加。
|
人生の転機となりうる出来事というものがある。 それらに直面すると、 何かを決意したり、悟ったり、鱗におちたり・・・ 人の心は大きく動く。 でも心というものは もっと単純で、複雑だ。 なんでもない一日のたわいない時の中にも 心変わりのきっかけが潜んでいる。 ふと日差しが陰るその刹那に、 雨脚の速度が変わった瞬間に、 あるいはすれ違った人の放つ「雰囲気」の中にさえ。 (そんなものは見えもしないのに! ) 特別なものではない。 理由もない。 あるのかもしれないけれど、よくは分からない。 あるとするなら、外の世界の何かと(陰りや、雨脚や、雰囲気や) 自分の中の何かが(その時の気持ちや、思い出や、思い込みや)が呼応し合い 不可思議な化学変化をおこしてしまうとでも言えるのか。 その結果、一瞬のうちに、誰にも分からないまま、 心はすっかり変わっている。 世界の在りようがまったく異なって見える。 まるで「魔が差す」瞬間のように 素早く、確実に。 アーモンドチョコレートを食べると、 いつもマンスフィールドの「尼になって」という作品を読み返したくなる。 あるいは、その逆ということも。 彼女の作品には、瞬間的に呼応しあう外と内の世界がよく描かれるが 「尼になって」の中で アーモンドチョコレートは、 まさにその場に立ち会う小道具だ。 アーモンドチョコレートをつまみながら 婚約者ジミーと観劇をしていたエドナ。 彼女は、唐突に、 なんの前触れもなく 舞台の上の役者に恋をしてしまうのだ。 アーモンドチョコレートを一つ食べて 箱をジミーに返そうとしたその瞬間に。 そんなことって! その瞬間ーまったく絶対的にーいや、この上もなくたしかにー 実際、その瞬間にエドナは人生が今までとはちがったということを知ったのだ。 彼女はジミーの手をはなし、うしろにもたれた。 そして、それをかぎりにチョコレートの箱を開けないことにした。 これが恋というものだ! そんなことって! が人生にはある。 「散文で書かれた詩」と評されるマンスフィールドの文章の中に、 それらが、木漏れ日のようにちらちらと揺れている。 mabu「風が吹く」という作品も良い。 主人公の少女の気持ちと呼応しあうのは 強い風。 少女になのか、 書き手のマンスフィールドになのか分からないが 最後のシーンではいつも私は話しかけている。 'わたし、あなたの気持ちがよく分かる・・・’ 「マンスフィールド短編集 幸福 園遊会」 崎山正毅 訳 (岩波文庫) (2010.7.12) |
なにしろ、おいなりさんが好きなのです。 食べたくなると矢も盾もたまらず、 一気におあげさんを煮ます。 沢山煮るので その日にいただく分以外は冷凍しておくのですが 結局、一週間と待たずいそいそと取り出して お弁当にいれる有様。 じゅわっと甘辛い煮汁のしみたおあげさんは それだけで美味しいけれど おあげさんを煮るのって、難しい。 調味料の配合を細かに変えてみたりして それなりに美味しく炊けるようにはなってきたけれど 「これにきまり!」の味には まだ落ち着かない。 今日は、ザラメ糖を使って煮てみる。 うん、なかなかいいぞ。 また少し、理想の味に近づけたかな。 そういえば、運動会のランチタイムで隣のシートだった大家族。 大きなタッパウェアに詰められていたおいなりさんは おばあちゃんの手作りだったのかな・・・ 控えめな出で立ちながら あたりまえのようにそこにいて、 どんどん家族の箸がのびていました。 ぶれることのない 皆のなじみの味なのでしょう。 目指すおいなりさんここにあり。 蒸し暑くなってきました。 しっとり煮上がったおあげさんと、 甘酸っぱい酢飯のコンビネーションが より一層嬉しい季節です。 ウィロウの大皿にたっぷりと盛りつけて さあ、ごはんですよ! (2010.06.18) |