Blue willow のある食卓
    ーEveryday with Bluewillowーー












    鳥取砂丘へ。





    ひたすらに歩き、
    砂の丘を越えると、
    夏、一歩手前の日本海が広がる。
    はしゃぐ娘と、波音に臆する息子。







    ずっと砂丘に興味のあった娘。
    宿題の日記は「砂丘のことを書く」と宣言していたのに
    その日の日記は、こんな風に始まっていた
    「なんだかさみしい・・・日曜日の夕方って。
    楽しかった週末が終わるからだろうか・・・
    なぜかははっきり分からないけれど、
    毎週日曜の夕方、さみしくなるものだ。
    今週は友達とも遊んだし、砂丘にも行った。100%楽しめた。
    その分、さみしさもおとずれるのかな」
    タイトルも「日曜日の夕方」


    うん、分かる、その気持ち。
    それは日曜の夕方あたりから
    まさしく「なぜかははっきり分からないけれど」
    小学生の私にも忍び寄ってきたものだった。
    さみしさ、とは少し違うかもしれないけれど
    日曜夕方特有の、すんとした気持ち。
    他にふさわしい言葉を、まだ見つけられずにいる。


    今なお体の奥が覚えているあの気持ちを
    懐かしく思い出しながら おみやげを取り出す。

    砂丘にほど近い白兎海岸は
    古事記にも記された因幡(いなば)の白うさぎ伝説ゆかりの地。
    ぷっくりうさぎの愛らしい姿が しんみり気分を和らげてくれるね。
    でも・・・
    おまんじゅうの出番を待たなくてもよかったみたい。


    「今はさみしい。
    だけど、そんなさみしさを忘れて楽しいことを考えてみよう。
    明日はプール開き。
    バイオリンのレッスンもある。
    楽しいことを考えると、さみしさなんてぶっ飛んでいっちゃうにちがいない!」




    (2012.6.22)





    「言葉には、意味のほかに風味や気配やニュアンスがあります。」
    と語っていたのは、作家の江國香織さん。

    小学一年生に向けた詩の中で
    「魑魅魍魎の跋扈する(ちみもうりょうのばっこする)」という
    難しい表現をなぜ使ったのかを尋ねられた時の
    それは答えであり、
    このような続きがあった。
    「個々の言葉に出会わなければそれはわからないことなので
    出会った方がいいはずだ、と思っています。
    もし理解できなくても
    味わうことはできるはずですから」と。


    *


    「ゆすらうめ、ってそういう字を書くんだ!」
    前回の文章を読んだ娘がつぶやいた。
    山桜桃は、
    ゆすらうめ、でもあり、ユスラウメ、とも言えるから
    そのように表記することもある。
    もちろん、意味に違いはない。
    でも、あの日の自分が、
    無意識のようでありながら、どこか確固とした揺るぎのなさで
    山桜桃と表記したのは
    まさに、「風味や気配やニュアンス」ゆえだったのだと
    あらためて思う。
    瑞々しい赤い実、電話の声、ヘンデルのソナタ・・・
    6月はじめのそんな土曜日の出来事には
    「山桜桃」の纏う空気感がしっくりくると、
    一瞬にして、
    私はそれを選び取ったのだろう。






    そういえば、ブルーウィロウも
    デザインそのもの、というより
    風味や気配やニュアンスに惹かれている、と言える。
    日々、味わっているんだなあ。
    お皿の上のものも、お皿そのものも。


    (2012.6.17)
     




    「バイオリンの先生がね、
    山桜桃(ゆすらうめ)をくださったの。
    かわいいし、
    食べられるから弟と一緒にどうぞって。
    先生の部屋にも飾ってあったよ。
    つぶれないように、ゆっくり帰るね。」

     

     



    初夏


    (2012.6.02)