Blue willow のある食卓
ーEveryday with Bluewillowーー
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子供時代の夏休みは、父の車で旅に出かけた。 雄大な阿蘇、完成したばかりの瀬戸大橋、宍道湖の夕日・・・ 両親としては、理由あって選んでくれたに違いないけれど 目的地がどこであったか、ということよりも 朝まだ早く、明けきらぬうちにわくわくと出発したこと、 車中での役割を、記録係、ゴミ係、などと分担したこと、 (たいてい、すぐに飽きて任務を放棄することとなる!) 知らない町の夕暮れをそぞろ歩き、 おみやげを選ぶ時間が好きだったことなど 思い出のかけら達が 今も眩しく胸に残っている。 いつか子供達にそんな夏の記憶が残ればいいな・・・ そのような想いもあって、長崎の旅。 学校で日本の地理や風土について習い始めた10才の娘は 下調べの段階から、旅に参加。 あれこれ憧れをふくらませながら 一緒に「旅のしおり」を作る時間の楽しいこと! 現地では、しおりに添って街を歩き、土地のものを食べ、 絵に描きたい場所を探して、坂道を上り、下った。 もちろん、決して忘れてはならないこの町の悲劇も その目に焼き付けた。 2才の息子にとっては、どこであれ 靴を履いて歩くだけで それはそれは世界は楽しいものらしいのに ここでは、ガタンゴトンと路面電車が走り 港には見たこともないほどの大きな船が停泊している。 これ以上、望むものはないだろう。 クロスカルチャーの町、長崎。 私自身、若い頃には気がつかなかった魅力を知る 有意義な旅となった。 市電の吊り広告で偶然知った展覧会を訪れ 幼いころに親しんでいた絵の作家と再会するなど 当初の「旅のしおり」にはなかったページも加わった。 又、とりわけ心に残ったのは、地元の人々のあたたかさだ。 ホテルやおみやげ屋さん・・・ ほとんどが一度きり声を交わすだけの人たちだが ちょっとしたひと言が 旅に幸せな風を吹きこんでくれた。 それは、マニュアル通りではなく、杓子定規でもない ひとりひとりの言葉であり、 ひとりひとりの、人としての優しさだった。 こんなこともあった。 おみやげ屋さんでのこと。 はしゃいだ息子が走り出し、 ガラスケースにぶつかってしまった。 興奮していた彼には、透明なガラスが見えていなかったのだろう、 幸いガラスや商品、もちろん息子にも何事もなかったのだが 驚きと痛みで彼はしばらく泣き続けた。 その後、申し訳なさに身を縮めてレジに並んだ際、 「これ、・・・」と手渡されたのは、保冷剤。 先ほど子供さんがぶつかったみたいだけど大丈夫ですか、 よかったら使ってください、と。 私の旅のおみやげは、もちろんカステラ。 娘は、ステンドガラス風のビイドロを選んだ。 一度、売り場で足が止まったものの 悩んで、悩んで、決められず、 翌日になってやっぱりあの時の・・・と言い出す始末。 でも、旅は一期一会。 ここで買わないと後悔するね。 坂道続きで靴擦れのできた足を引きずって 二人してもう一度、おみやげ屋さんを目指したことも 楽しいひとこまだ。 薄くはかない硝子に息を吹き込むと、 カコン、カコン、 乾いた音がして、すでに旅は遠くある. (2012.8.21) |
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