Blue willow のある食卓
ーEveryday with Bluewillowーー
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片付けと整理の日々。 月末に引っ越しを控えているので そう悠長なことも言ってられないのだけど またとない、いい機会だ、 箱詰めする前に、手に取ったものを一旦、見直してみている。 hon本を衣類を、生活道具あらゆるもの全てを、 今の自分に本当に必要かどうか、 今一度確かめている。 そして・・・無駄の多さにうなだれてしまう。 考えて暮らしてきたと思っていたのに なんと沢山の物をため込んでしまったのだろう。 どれも必要で、あるいは気に入って買ったものだ。 もちろん、必要とした時期もあったことに違いはない。 でも、いつまでもそうであるとは限らないのだ。 そんなことを、片付けながらあらためて思い知った。 あの時、確かに必要だったものが、今もそうとは限らない。 時は流れ、環境も、自分も変わっていくのだから 今の自分に照らし合わせて それが本当に必要なのか、自問、取捨選択・・・ そういうことをこまめにアップデートする方が 風通しのよい生活が送れるに違いない。 本当に必要なものは、多分、そんなに多くはない。 冷やし抹茶で、片付け小休止。 器も好きなので、気になるものはきりがないけれど 全てを持つわけにはいかないし、 たとえ、そうしたとしても 全てを活かし、使いきれるわけではないだろう。 好きということと、それを所有するかどうかは、また別の話。 数を持つより、使う回数を増やして 器との距離を縮めながら一緒に年月を重ねていけたらなら・・・ そういう意味でも、 春夏秋冬、季節を問わず、 料理と食卓の雰囲気を締め、高めてくれるウィロウは 私にとって特別なものだ。 英国の風景の中で出会い、 自分で家庭を持つ時はぜひ、と憧れたあの日から 結婚が決まって実際に購入した日、 そして、今日この日まで 時が流れ、環境は変わっても ずっと大切な存在であり続けていてくれる。 さて、引っ越し作業、 そろそろ食器棚にも着手すべき時だけど、 ブルーウィロウ 箱詰めは、一番最後にね! (2014.8.11) |
残念ながらお酒の楽しみとはあまり縁がなく、
常備してあるリキュール類は、カルーアのみだ。 それも飲むためではなく、 ティラミスを作るため。 イタリア語で「天国に連れて行って」 という意味だというこのデザートが好きで ときどき、無性に食べたくなる。 初めて出会ったレシピがそうだったので、 クリームチーズで作る。 本来はマスカルポーネを使うらしいけれど これはこれで、美味しく ずっと作り続けている。 家で作って食べるティラミスの味。 器いっぱいに作って、 天国へのひとすくい、ふたすくい。 明けゆく空に浮かぶ雲に いつか、どこかで会ったことがあるような気がした。 通り過ぎてきたいくつもの夏の いつだったか、 どこだったか、 記憶を辿ってみるけれど あるいは、それは夢の中のことだったのかもしれない。 もう戻らない風景を、陽炎の中に見て もう聞くことのない声を、蝉時雨の中に聞く。 全ては移ろいゆくということ。 夏という季節は、 それを容赦なく突きつけてくる。 全ては移ろいゆくということ。 でも、それは哀しいことではない。 ・・・ないのだろう。 頭では分かろうとしているはずなのに 受け止めきれない自分がもどかしく、 少し苛立ちもする。 暑さをただまっすぐエネルギーに変換できていた頃は 夏がこんな季節だなんて、思いもしなかった。 (2014.7.30)
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昼過ぎて、雲行きがあやしくなった。
「海つ音(わたつね)」という名のついた風鈴は 昨年の夏、高知のガラス工房を訪れた際に購入した。 やや厚みのあるとろりとしたガラスと 鳴り子の美しいデザイン、 手透き和紙の短冊の風情ある佇まい。 「わた」というのは古語で海という意味なのだそう。 海辺の工房で揺れる風鈴の、 軽やかだけど、軽すぎない、 ほどよい重みがある「音」にも 心惹かれた。 中止かも、と思うのに ギリギリの時間に雨雲と雷鳴が遠のくのも 毎年のこと。 ひとしきり雨に降られたアスファルトを 西日が照りつける。 一日たっぷり眠った息子は元気を取り戻し お姉ちゃんに手を引かれて祭に出かけていった。 戻ってきた手の中には 果実のような、スーパーボール。 夏休み、初日。 いつの間にか風は止み、 風鈴も静かだ。 (2014.07.19) |