Blue willow のある食卓
ーEveryday with Bluewillowーー
新幹線の改札口に、2年ぶりの友の姿。 さらりと合流して 一刻も早く、座れる場所を探す。 駅ビルとはいえ、まだほとんどの店が開店前という時間。 地下のコーヒーショップで、とりあえず席を確保。 仕事で来ている彼女と、午前保育のお迎えが迫る私、 与えられた時間は、わずかだ。 あとはもう、話して、聞いて、聞いて、話して。 お互い、朝食代わりにオーダーしたコーヒーは 半分も飲む前に、すっかり冷めた。 タイムリミットは、あっという間だ。 「じゃ、またね。」 会議までまだ少し時間があるという彼女は クリスマス一色の地下街に消えていった。 惜しむ間もなく、私もまた先を急ぐ。 今年一番の寒気が訪れた、12月あたま。 コンコースにも、冷たい風が吹きこんでくる。 小走りに駆けながらも ふと目に留まった店で キャラメルティーを買った。 翌日、携帯にメールが届いた。 文字を追いながら、カップにお湯を注ぐと あたたかい湯気にふわりとキャラメルが香る。 学生アパートで出会った10代の頃、 未来という言葉の枕詞は、「明るい」だった。 笑い合って、夢を見て。 そんなスウィートシーズンを共にして 40代、そろそろビターの割合、増えてきた? 母であり、妻であり、娘であり、嫁でもあり。 いくつかの立場と役割。 自分だけの力ではどうにもならないことが多い中、 正解のない選択肢を、それでも選んで生きていかなきゃならないんだ! メールには、追伸があった。 「あれから、クリスマスグッズを大人買いしてしまいました^^・・・」 いいよいいよ、それくらい。 ビタースウィートなキャラメルティーが ことさらに、美味しいのは この寒気のせいばかりじゃないね、きっと。 (2014.12.03) |
木々も色づき、
庭の蜜柑も色づいた。 「今日、収穫してみる?」 11月最後の日曜日。 午後からは外出予定なので 午前中、早めにキッチンで夕食の心づもり。 マッシュルームを前にして グラタンにするか、スープにすべきか・・・ 由々しき問題に頭を悩ませているというのに 窓の外では、賑やかしく収穫祭!? じきに、大きいの、小さいの、 どんどん台所に運び込まれてきた! 午後からは、バイオリンを聴きに。 一曲、一曲に、演奏家ご自身が説明が添えてくださったコンサート。 ブラームス作曲の「調べのように」に こんな歌詞がついていることを教えていただくことができて 私にも、嬉しい収穫。 調べのように 歌の調べのように何かが そっとわたしの心をよぎり 春の花のように咲きでて 花の香のように漂ってゆく。 けれども、言葉でそれを捉えて 目の前に想い浮かべようとすれば、 灰色の霧さながらに色褪せて、 鏡面の息の曇りのように消える。 さりながら、詩歌のなかには ある香気が秘められていよう、 それは、涙に濡れた眼がやさしく 静かにふくらむ莟から誘う香りだ。 クラウス・グロート 詞 志田 麓 訳 (2014.11.30) |
前日からの雨は上がったものの 厚い雲がたれこめた日。 午後からは、また、弱い雨が降り始め、 秋時雨の肌寒さ。 冷蔵庫から、カップ一杯ほど残っていた トマトクリームシチューを出して温めた。 ラップを剥ぎ、台所で立ったまま、飲む。 11月のある日。 * 父に病気が見つかり、手術をしなくてはいけない。 そんな知らせを受けたのは、ちょうど一年前だった。 父と母は、新婚時代に暮らした千葉や東京を数十年ぶりに旅したばかりで 沢山のおみやげが届いた矢先のこと。 私が産まれた町も、 当時住んでいた家の辺りにも足を伸ばしたのだという 弾んだ声が、まだ耳に新しかった。 突然の知らせに、さまざまな思いが交錯する中、 深夜まで仕事に没頭した。 手を止めたら余計なことを考えてしまいそうだったから やるべきことがあることは 有り難いことだった。 一心不乱に、ただ目の前のことだけに集中した。 一息ついてふとテレビをつけたとき、 その調べが流れてきたのだった。 つま弾かれた一音、一音が、 雫のように胸に落ち、波紋を広げていくような ギターの旋律だった。 ブローウェル作曲、「11月のある日」。 手術は平日だったので、 息子と二人、朝早い新幹線で故郷に向かった。 乗りものに興味津々の3歳男児。 新幹線はもちろん、 駅で乗り替えた在来線がふしの川沿いを進む間も 息子は、ただ、その環境に興奮しているだけの様子だった。 おじいちゃんは、びょうきなんだよ。 きょうは、げんきになるためにびょういんで わるいばいきんをやっつけるんだね。 簡単な説明はしているものの、 特にそれに対する言葉は、ない。 幼い子供は術後もICUに入らせてもらえず 実際に、父の姿を見る事さえできなかったのだから 実感は持てなかったろう・・・ 帰りの新幹線に乗っても 息子はまだ、テンションが高いまま。 無事に手術が終わった安堵と疲れで シートに沈みこんでいる私に、 しかし、突然、彼は話しかけてきたのだった。 「ねえ、今ごろ、もうおじいちゃんは 元気になっている途中なんだよね?」 彼なりに理解してくれていたんだな・・・ 小さな手をぎゅっと握りしめた。 流れる車窓には、早くも夕闇が下りてきていた。 * そんな、昨年の「11月のある日」を思い出した 今年の、11月のある日。 あの日、麻酔が覚めて枕元に私を認めるや、 Kちゃんも来てくれたのか? かすれた声で息子のことを尋ねてきた父は 順調に術後の生活を送っており、 今年の私は、また違った思いで 「11月のある日」を聴いている。 あの夜、テレビをつけて偶然聴いた時の演奏が You Tubeにあがっていました。 (2014.11.26) |