Blue willow のある食卓
ーEveryday with Bluewillowーー
コッツウォルズのどこの町でだったか、 形といい、色といい、 こうでなくちゃ!という理想のティーポットに出会い 「大」と「小」をそれぞれを買いました。 新婚旅行でのこと。 イギリスの「大」なんて、それはそれはたっぷりサイズなのだけど 万蔵氏、若かりし日のバイク生活で鍛えたパッキング力を発揮。 ポット「大」「小」のみならず、 旅先の高揚で私が後先考えずに買いこんだあれやこれやも (彼曰く、「熟考の末に」買ったという トリケラトプスのぬいぐるみやなんやも!) まさに、隙のない荷造りで 見事なくらい、それはきれいにまとめられたのでした。 そうやって大切に日本に持ち帰ったポットでしたが 使用頻度の高かった「小」の蓋が とうとう割れてしまいました。 ティーポットがないと どうも、バランスが悪い。 お茶のテーブルの安定感のみならず、 気持ちの安心感にも欠けているような。 そして迷わず選んだ二代目の「小」。 こっくり茶色くて、どっしりの佇まい。 そう、こうでなくちゃ! 「大」とは、まるで親子のようです。 三月のはじまりは、雨。
まだ寒いけれど、紛れもなく、春の雨が 朝から、しとしと降り続きます。 月末に控えたスプリングコンサートに向けて このところ、日曜日はオケの一日練習が続いている娘。 その帰宅を待っての、少し遅めの午後のお茶を囲む頃、 雨も上がりました。 (2015.3.01) |
送迎時が寒い、などと漏らしたからでしょうか・・・ 一転、冬籠り生活。 家から出られない日々が始まってしまいました。 息子、骨折! こうなってみると 送迎から凍えそうに戻ってきた時に飲む珈琲の 格別な美味しさや、 彼の不在時に、集中して仕事に取り組む時の爽快感、 降園時にこっそりコンビニに寄り道してほかほかを手に受ける 中華まんの楽しみ・・・ 昨日までの「あたりまえ」が、輝いてくるのですから 我ながら、勝手なものです。 でも、出られないものは仕方ない。 寒さも戻ってきたことだし きっぱりと腹をくくっ て 名残の冬を楽しむしかありません。 ‘けさ、ゆきが ふりました’で始まる 「ゆきの ふった あさ」は この冬、息子とよく読んでいる一冊です。 窓の外は一面の雪。 あついミルクを飲みながら ジャンの心ははやります。 ‘あさごはんが すんだら すぐに にわに でてみよう。 あの しろい きれいな ゆきが ぼくの くつの したで きゅっ きゅっと なるだろう。’ そして始まる、雪の一日。 安らかに明けて、安らかに暮れていく 子供の一日。 「ゆきの ふった あさ」は、 こんなふうに終わります。 ‘あすも また ゆきでしょう。 しろく しずかに ふるでしょう。’ 明日という一日もまた、安らかに続いていきますように・・・ そんな祈りが しろく、しずかに、ふり続いているようで 本を閉じてもやさしい余韻が続きます。 寒くて、ちょっぴり不自由な今だから、 こんな絵本が幸せです。 *「ゆきの ふった あさ」 さく ソフィ・ジャンヌ え エリザベト・イバノブスキ ファランドールえほん14 (ブック・ローン) (2015.2.20) |
なにしろ、送迎時が寒い。 昨夏に引っ越しをして、遠くなったので 厳寒時は、幼稚園が遙か彼方に思える。 痛いほどの寒風に自転車で立ち向かうこと、日に往復二回。 体の不調をだましだましにきていたら、 ついに、風邪をひいてしまった。 薬を飲んで、本を選んで、ベッドに入る。 とろとろと眠りに導かれながらも ゆるゆると文字を追う。 “立春を過ぎると、気のせゐか、空気が円味を帯びて、 とげとげした所も幾らか柔くなるやうな気がする。 或は、立春と云ふ言葉に欺されてゐるのかもしれない。 そのころになると庭の枝垂梅が先づちらほら咲き出して、 蕗の薹も顔をだす。 福寿草の蕾も出て来ると、片栗はまだかいな、と 毎日狭い庭とにらめつこすることになる。” ずいぶん眠った気がする。 目覚めると、部屋が少しだけ明るかった。 カーテンの隙間からもれくる光を感じながら 先の一節が、まだ頭を巡っている。 円味を帯びた空気、枝垂梅、蕗の薹。 片栗はまだかいな。 「そういえば、明日は立春だ・・・」 そして、また、 とろりとろりと、眠りにおちていく。
二日寝込んで、復活の朝。
*引用文「小さな手袋/珈琲挽き」より、「蕗の薹」
(2015.2.04) |