Blue willow のある食卓
ーEveryday with Bluewillowーー
*6月の台所から* 夏の一歩手前がやってくると よく聴いているのが 「(Sittin' On)The Dock of the Bay」。 時が経つのも忘れて、ただ一日中 入江の埠頭で海を眺めている・・・ と歌われるこの曲は 音楽自体が、さながら潮風に吹かれている心地。 ♪ Sittin' in the morning sun I'll be sittin' when the evening comes Watchin' the ships roll in And I' ll watch'em roll away again Sittin' on the dock of the bay Watchin' the tide roll away Sittin' on the dock of the bay, wasting time ♪ 歌詞の中に出てくる土地、「サンフランシスコ」には つい先月、両親が旅行したばかりだ。 一昨年に父、昨年に母、 それぞれが入院、手術をして 心配な日々が続いたことを思うと なんと心躍る出来事だったろう。 二人の辞書に「サンフランシスコ」という言葉があったことも なんだか意外で、それもまた嬉しかったりした。 今朝は、コーンブレッドを焼いた。 台所を風がさらさらと通り過ぎていき 母からのエアメイルには Frisco Bayの写真。 オーブンからとうもろこしの甘い香りが漂いはじめ、 気がつくとまた、口ずさんでいる。 Sittin’on the dock of the Bay , wasting time・・・ 「(Sittin' On) The Dock Of The Bay」 Steve Cropper/ Otis Redding (2015.6.27) |
すきま時間、 お弁当の一品にササミフライの用意をする。 せっかくなら、とチーズを挟んで 小麦粉、卵、パン粉をつけて ウィロウの中皿に並べていく。 単純作業だけど、それなりに時間はかかる。 お腹に入って、あっという間に消えていくものなのにね。 でも、日々はこの繰り返し。 作って食べて、 汚れたら、きれいにし、そしてまた。 暮らしていくことのほとんどは、 そんなことの繰り返し。 でも、だからこそ。 みずからの中の偉大なものの小ささを感ずることのできない者は、 他人の中の小さいものの偉大さを見すごしやすい。 岡倉天心 品格、教養、有徳、勇気、美意識・・・。 いずれも称賛すべきものではあるが、 そういう偉大さも、その陰で、あるいは縁の下で その人のために、食事を用意し、 掃除をしている人たちの沈黙の行為がなければ 何ものでもない。 このことを知り尽くしているか否かに、 その「大きさ」はかかっている。 「茶の本」(桶谷秀昭訳)から 「朝日新聞 朝刊 折々のことば*鷲田清一」より (2015.6.17) 梅雨の晴れ間。 レモンをぎゅっと絞ると 果汁のほとばしりに 先日行われた中学校の体育祭のシーンが蘇ってくる。 なんたってリレーが好き。 昔からそうだった。 バトンを受け取る時の高揚、 バトンを渡し終えた時の安堵。 受け取ってから、次に繋ぐまで 自分に与えられた区間を ただせいいっぱい走るのみ。 がむしゃらな時間の記憶はいつもほとんどない。 託されてから、託すまでを ただ懸命に。 だって、それって、何かに似ている。 いい塩梅に、レモンカードにとろみがついてきた。 ふと思う。 最後に全力疾走したのって いつだったっけ。 (2015.6.09)
|