Blue willow のある食卓
ーEveryday with Bluewillowーー
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買物嫌いの子供達はお留守番。 だから二人で 鶏肉を買って、ピーマンを買って、 トイレットペーパーを買う。 いつもの日曜日のように。 一緒に暮らしていくものを一緒に買うなんて このうえなくスペシャルなことだと思うんだけど、 今日はバレンタイン。 あとちょっとだけ、スペシャル上乗せ。 (2016.2.14) |
母の林檎ケーキが食べたいと思ったのに なぜかいつものファイルにレシピがない。 林檎ケーキのレシピなんて ファイルには数種類入っているし、 パソコンを開けば、星の数ほど見つけることができる。 でも、今求めているのは、ただひとつ。 母の林檎ケーキ。 どれよりも簡単で、素朴で、馴染みの林檎ケーキなのだ。 結局、どうしてもそのレシピは見つからなくて それでも諦めきれず、似たようなものをネットで探して焼いた。 焼き上がったケーキを型からはずしながら、 あの夜、娘から放たれた言葉を苦く反芻する。 思春期は、いつか来た道。 もちろん私自身も、その景色に見覚えがある。 せっせと林檎ケーキを焼いてくれていた頃、 母もこんなため息をついたことがあるに違いない。 おそらくもっと深いため息を。 後日、無事にレシピも発見され これは正真正銘、母の林檎ケーキ。 まだあたたかいうちに大きめに切って 手でぱくっといくのが、一番美味しい。 頬張ると、ずっと変わらないいつもの味。 (2016.2.7) |
’毎年、その冬の一番寒い日に、わたしの誕生日が巡ってくる。 冬の森の奥に落ちている凍えた木の葉のように、ひそやかな一日だ。 何もかもが寒さのために身動きできず、 風さえも空で凍りついてしまうような一日だ。’* 私の誕生日も 大寒のころ、
一年で一番寒い時期に巡ってくる。 そんな、凍りついてしまいそうな休日の午後、 小川洋子さんの「余白の愛」を読んだ。 滅多なことでは手に取らず ここぞ、という時までとっておく。 最後の、とまでは言わないけれど、砦のような一冊だ。 昨年末からあまりに忙しすぎた。 読みたいというより、その世界に逃げ込みたい、 その方が正しかったかもしれない。 まさに、ここぞ、のタイミングだった。 贅沢にも、一気に最後まで読んだ。 そしてその後、長いこと眠った。 もしかすると、そこまでがこの読書の一連の楽しみなのかもしれない。 というのも、昔から、小川さんの文章を読んだ後には 決まってその文体の夢を見るからだ。 「文体の夢を見る」 それがどういうことなのか 自分でも説明し難いのだけど 夢の中の出来事がすべて物語の文体で進んでいき、 目覚めてからも、それがしばらく続く。 それは、不思議な感覚だ。 そして、もちろん嬉しいことに違いはない。 なにしろ小川さんの文体は、物語の世界観そのもの。 泉鏡花賞を受賞された際に評された、 「だれもが大声で自己主張する時代に、 しとしと水が流れている印象がある」 その言葉通りのものなのだから。 小川さんの小説の中では 「余白の愛」と同じような‘砦’の存在として、 「やさしい訴え」と「凍りついた香り」がある。 それらは全て初期の、 どちらかというと控えめな作品群かもしれない。 けれども、私個人の中では、特別な三部作だ。 人生にときおり訪れる、 今日のような日に必要な、特別な三部作なのだ。 「余白の愛」(福武書店) 1991年 *引用文 「やさしい訴え」(文芸春秋) 1996年 「凍りついた香り」(幻冬舎) 1998年 小川洋子 (2016.2.01) |