Blue willow のある食卓
ーEveryday with Bluewillowーー
「検索」するだけで、 もはや、探しだせないものなんてないんじゃないだろうか。 それがいいことなのかどうなのか、 昔の映像や、海の向こうの名品も パソコンを操作するだけで 簡単に目の前で再生され、手元に届く世の中だ。 どういうわけか、 眠っていた記憶がふと呼び起こされ 昔のテレビドラマがたまらなく観たくなった。 「シャンソンの名曲‘ラ・メール(海)’、薔薇、洞爺丸の事故」 手がかりは、それくらい。 戦後の東京の町で、 登場人物達の冬の装いが素敵だったことも 強く印象に残っている。 簡単に探し出せると高をくくっていたけれど 期待はあっさり裏切られることとなる。 それより古い映像だって沢山残っているのに そのドラマに関しては、 映像的な記録を、断片さえ、見つけることができなかったのだ。 意地になって、深夜まで検索し続けたけれど、 無駄だった。 原作は、中井英夫の小説、 「虚無への供物」だったということだけは確認できた。 「もう手に入らない」 その事実による苦みと甘みが、 懐かしむ気持ちに、より一層拍車をかける。 でも、きっとそれでいい。 それが、いい。 もし手に入る所にあるならば、 迷わず手を伸ばしてしまうであろう私は、そう思うことにする。 ドラマから約20年後の薔薇の季節、 シャルル・トレネの「ラ・メール」を聴きながら そう、思うことにした。 (2016.6.1) |
「ママ、ブラックベアになっちゃうよ」 息子に言われてしまった。 昨夜、眠りに落ちるまで読んでいた本を、 目覚めるなり開いた土曜日の朝のこと。 ディック・ブルーナさんの描くブラックベアは 読書が大好き。 夜中まで本を読みすぎて目が赤くなってしまったくまさんです。 とても他人とは思えない・・・ 子供達、この夏一枚目のTシャツもブラックベア。 プリントされた「LEKKER LUI LOGGEN LEZEN」は オランダ語で「気持ちよく寝転んで、だらだら読む」なのだそう。 気持ちよく、寝転んで、だらだら読む! さて、ブラックベアTシャツを着て、 バイオリンのレッスンに出かけた姉と弟。 帰ってくるなり、 可笑しそうに、楽しそうに、言いました。 「先生がね、服をほめてくれたよ。 かわいいね、その‘くまモン’って!」 (2016.5.14) |
学生時代、熊本出身の友達がいた。 ミッション系の大学だったので 私達はよく並んで、礼拝に参加したものだった。 どちらも、信仰があったわけではない。 神も仏も、遠い存在で 困ったときに「神様、助けて!」などと 都合よくお願いしちゃうくらいが関の山。 そもそも、礼拝も自由参加だった。 それなのに、祈りの時間は なぜか心が落ち着くものだった。 特定な神様ではなく、 なにか、大きなものに守られるような なにか、を無条件に信じていいような そんな安らぎがあった。 地震の後、彼女とメールを交わした。 わたしたち、学生時代に祈ったり、歌ったりしたけど あれって、なんだったんだろうね。 何に、祈ったり、歌ったりしてたんだろ。 これでもか、これでもか、と被害は広がり続けていて、 気持ちの持って行き場がなくなりかけていた。 心の奥の奥では信じていた「なにか」にさえ、 見放されたような気持ちになっていた。 自然の脅威の前で、 人は時に立ち尽くすしかない。 その存在の、なんと儚いことだろう。 尋常ならざる現状を見せつけられるにつけ、 胸が締めつけられる。 でも、同時に、 人はどこまでも、けなげで、逞しくもある。 知恵と工夫と忍耐と希望。 その現実にもまた、胸が締めつけられる。 守ってくれていると思っていた大きな「なにか」、 無条件に信じていた「なにか」って 私達の外ではなく、中にもあるものだったのか・・・ 分からないことだらけだけど、 分からないことだらけだから、 結局、今もただ、祈ることしかできないけれど。 (2016.4.30) ( |