Blue willow のある食卓
ーEveryday with Bluewillowーー
前回の更新から、4ヶ月ほど間があいてしまいました。 Blue Willow Journalを綴り始めて20年。 こんなにも時間があいたのは初めてのことです。 何かを書きたいとは思えない日々だったのです。 春、母の病が判り、 闘病生活がはじまりました。 不安と心細さで 気持ちは乱れ、すべてが停止したかのように思える日々。 桜が散り、若葉が萌え、雨の季節が始まって終わり・・・ 窓の外だけが、容赦なく移り変わっていきました。 そして、夏到来。 ある日、これまでのJournalを読み返してみました。 20年分の日々のパーツは、 それぞれ悲喜こもごもに、色とりどり。 そんな日常を重ねて、今があり そしてまた、明日に続いていくのだ。 読み進めるうちに、その尊さを思い知り 胸を衝かれる思いでした。 そして。 私の時は止まってしまったわけではなく 病を得た母と共に 確かに動き、続いている。 だから、どんな「今」も綴っていきたい。 立秋を迎える今、 そんな風に思えるようになりました。 不安で不自由な日々にあっても、 キッチンに立たない日や、本を開かない日はないし 笑わない日もありません。 今朝は早起きして 旬のとうもろこしでポタージュをこしらえました。 甘っ! 子供達が目を丸くして、庭では風鈴と蝉のセッション。 病床の母とはラインで励ましたり、励まされたり。 そんな2021年の夏です。 残暑お見舞い申し上げます。 (2021.8.08) 春は体がむず痒くなる。 1日ずつ、陽がのびてゆくのを感じながら、 雪平で油揚げを煮る。 i Phoneのスピーカーから木遣りや「娘道成寺」の長唄を流しながら、 台所の小さな窓をあける。 四月になれば川沿いの桜が遠くに見えるけれど、 いまはまだ裸木のままだ。 醤油のにおい。 お砂糖のにおい。 甘くふわふわとしたきつねに油揚げが化けてゆく。 体を起こそうと思うのか、 春が近づくと急に、すし飯が食べたくなる。 小さな平皿にのせて、小さくちぎって、甘さをたしかめる。 つくりなれていないから、何度味見しても不安になる。 試食しすぎて、どんどんきつねが小さくなる。* 桜が咲く前から、作りたくて仕方なかった おいなりさんをようやく作る。 おあげさんの味付けが定まらず、 甘さを確かめているうちに 案の定、よくわからなくなってしまう。 きつねは小さく、お腹は膨れ、 なんだかなあ・・・と 小さくため息。 頬も少し、膨れたり。 *「だいちょうことばめぐり」 朝吹真理子(河出書房新社) (2021.4.10) |