Blue willow のある食卓
ーEveryday with Bluewillowーー
娘の一人暮らし準備は 続行中。 住まいが決まれば、次は諸々の新生活グッズ。 今は、たいていのものは 予算と好みに応じてネットで購入。 選択肢も広く、 新しい住まいに配達してもらえば 労力もコストも節約できます。 私が一人暮らしを始めた約30年前は もちろん、そうではありませんでした。 ネット情報もない当時は、 初めての町で、目ぼしい店を探し出し 家具や日用雑貨を購入するしかありません。 母と二人、降り立った町は 風景も言葉も、別世界。 今思えば、母とて、初めての土地であったのに 次はあれ、次はこれ、と店を巡り てきぱきと娘の暮らしの基盤を整えてくれたものでした。 角田光代さんの 「鍋セット」 という短編小説には そのときを思い出させる空気が、なつかしく満ちています。 大学入学で上京する「私」を手伝いに 母も来てくれる。 部屋の掃除や片付けを共にしてくれ 引っ越し蕎麦も食べるけれど その頃には、寂しさがこみあげてくる。 でも、これ以上一緒にいるともっとつらくなってしまうから もう帰ってほしい、と母に告げる。 そのとき、母は娘にまだ鍋を買っていなかったことに気づいて 二人で買いに行くことに。 商店街の店で母が選んだのは 「私」が昔、雑誌で見てあこがれていた橙色の鍋ではなかったし しゃがみこんで鍋を吟味していた母は 立ち上がったはずみでよろけて鍋を落としたり、 「この子ね、はじめてひとり暮らしするんですよ。 ご近所だし、何かあったらよろしくお願いいたしますね」と頭を下げて 若い店員さんを当惑させたりもする。 そのようにして母は娘に大中小の鍋セットを買う。 「母とは店の前で別れた。 アパートにいって荷ほどきをすると母は言い張ったが、 ひとりで大丈夫だと私はくりかえした。 「そうね。これからひとりでやっていかなきゃならないんだもんね」 母は自分に言い聞かせるようにつぶやいて、 幾度か小刻みにうなずくと、 顔のあたりに片手をあげて、くるりと背を向けた。 ふりかえらず、よそ見をすることなく 陽の当たる商店街を歩いていく。 母に渡された重い紙袋を提げ、 遠ざかる母のうしろ姿を私はずいぶん長いあいだ眺めていた。 (略) この光景を、ひょっとしたら私は一生忘れないかもしれない、 ふいにそんなことを思った。 そんなことを思ったら急に泣き出しそうになった。 ひとりになって泣くなんて子どもみたい。 私は母が向かう先とは反対に走り出す。 かんかんと音をさせてアパートの階段を駆け上がり、 紙袋の中身を取り出した。 いつのまに母が頼んだのか、 それとも店員が気を利かせたのか 大中小、三つの鍋はプレゼント用に包装されていた。 でこぼこの包装紙のてっぺんに、 ごていねいにリボンまでついている。 みず色のリボン。 ひとりきりになったちいさな部屋のなか、思わず私は笑ってしまう。* このくだりを読むたびに、私はいつも思い出すのです。 30年前、私たち親子が歩いた商店街や 頼もしく目に映った母の姿、 見知らぬ町で母と別れる心許なさを。 景色自体は、遠すぎて朧げなのに その記憶は、今もしっかりと鮮やかです。 そして同時にまた、 最近、私は気がついたのでした。 ずっと娘の気持ちで読んでいたこの短編小説を 今の私は、娘と母 両方の気持ちで読んでいることに。 |