Blue Willow のある食卓 vol.55
どんなものと合わせても
いつも新鮮な驚きをくれるブルーウィロウ。
はっとさせられる瞬間を
暮らしの中から切りとって。
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| 梅雨入り。 まだおすわりのできない息子を後ろから抱くように支え 懐かしい絵本を開く。 押し入れの中から掘り出してきた 赤ちゃん絵本。 「いない いない ばあ・・・」 驚いた。 そのまんまなのだ。 声の抑揚、テンポ、 このシーンでこんなふうに声をかけた、 なんてことまで、 8年前とそっくり。 今も昔も、読んでいるのは紛れもなく自分自身なのだから 当たり前のことのようにも思うけれど ひと言読んだだけで ページを開かなかった長い年月など まるで存在しなかったような不思議。 時間軸は不確かだ。 自分の声を聞きながら 今、私の腕の中で絵本に手を伸ばしているのは 赤ちゃんの娘だと錯覚しそうになる。 本を閉じて、マンションの廊下にでた。 雨は小降り。 眼下の水路には、大きく、小さく、 水の輪ができては消えていく。 山の方に視線を移せば、中腹の小学校の教室には 蛍光灯がともっている。 「お姉ちゃんは、あそこにいるね。」 息子に声をかける。 山の緑はしっぽりと濃く、 ところどころ水蒸気に煙っている。 眺めていると 雨の日の蛍光灯そのものみたいに、 切ないような、やるせないような想いが じんわりと胸の奥ににじんできた。
口の中でほどける和三盆の甘み。 「雨音の調べ」には 雨の季節の風物詩をかたどったお干菓子と 雨そのものを表した銀色のアラザンも入っています。 (2010.06.18) |
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夕食の支度の傍らで 簡単なプリンを作る。 食べごろに冷えた頃、 いつものラジオでショパンが流れてきた。 ピアノ協奏曲第二番。 これを作曲した若かりしショパンは 初恋の日々にあったというけれど とりわけ二楽章の旋律には いつも 胸をしめつけられる。 19歳の青年ショパンが五線譜に綴った恋文。 学生時代、大阪のザ・シンフォニーホールへ 演奏会に出かけた。 冬枯れの木立をぬけ、 随分早めにホールに着く。 早めとはいえコートを預けて、チケットをきってもらった記憶があるから 開場の時間にはなっていたのだろう。 ただ、ホールの扉を開けたのは おそらく私が一番で 全く予想もしなかったことに 舞台では、その日演奏予定のピアニストが ピアノ協奏曲の一節をさらっていたのだった。 目の前の座席にとりあえず腰をかける。 あまりのサプライズに、目も耳も 全神経をも奪われてしまう。 ほどなくして声がかかり、 シャツとジーパンという出で立ちのピアニストは 舞台袖に消えて行ったけれど 数十分後、タキシードに着替えた彼が本番の舞台に登場した時にも 私の心はまだ 完全に麻痺状態にあった。 その日のピアノ協奏曲第二番は 特別だった。
思えば、この10年で、 つまり結婚してからこちら 以前ほどショパンを聴かなくなった。 ショパンの音楽は、ロマンティック。 でも、彼のロマンティックは 誰かと居るロマンティックではなく 一人で居るロマンティックだ。 賑やかにプリンを食べながら 誰もこのロマンティックには気付かない。 ショパンと言えば、 「お昼のメロドラマ調!?」などと軽口をたたかれるだろうから 私も何も言わずプリンに集中する。 あとで、一人でCDで聴き直すんだから! 一人で居るロマンティックも、時には必要なんだから! ・・・そして プリンカップの中、 やさしい卵色の底に隠されたほろ苦いカラメルのように 実は、ショパンのロマンティックの奥にはもう一つの味がある。 それはまた いずれ。 (2010.05.17) |