冬時間
見えないブーケ
At the station there was a woman selling orange
,gold and
rusty-brown autum flowers. He bought a bunch from
her.
They were only a doller and they would look so
good,
so cherry on the dining-room table.
舞台はアメリカ中部のさびれかけた町でしょうか。
妻に内緒で仕事を辞めてきた中年の男が、駅で花売りを見つけ
妻へのおみやげに買って帰ろう、と足を止めるシーン。
塾で使う教材の長文の一節です。
オレンジや金、赤茶けた秋の花を寄せ集めた鈍色のブーケ!
受験用の味気ない問題集は 細かい英字が連なるだけで
カットのひとつもあるわけではないのに
私の中に広がってくるこのイメージの奥行きは
いったいどういうことでしょう。
一度読んだだけなのに私の中で、
見えないブーケが色めき、香り立ちます。
彼が降り立った駅の線路の果てや、高い秋の空、乾いた風、そのにおい。
花束を無造作にくるんだであろう新聞紙、
アタッシュケースに触れるたび それは微かな音をたてるのだろうか・・・
そんなことまで全てが一気にあふれてきて 思いを遊ばせるひととき。
そしてその枯色の花が飾られるであろう、ダイニングテーブル。
あとはもう、想像の赴くまま。
シャンソン歌手、石井好子さんの著作である
「パリの空の下 オムレツのにおいは流れる」も
そういう意味ではとても印象的です。
彼女の食事や料理に関するエピソードが書かれた‘文章だけ’の本なのですが
読んでいるだけで その味や匂いやテクスチュアまでが伝わってくる
驚くべき一冊なのです。
ああ、作ってみたい。 食べてみたい。
なにしろ古い本なので 写真一枚添えてあるわけではないのに
巷にあふれる美味しそうな写真満載の料理本にちっともひけをとりません。
それどころが こちらの想像力も掻き立てられて
お皿の上のイメージはよりいっそう五感に訴えかけてくるのです。
そう、想像力。
限りなく美しい映像や画像も一瞬にして手に入る このデジタルな時代に
ある意味、記号に過ぎない文字というものに それらに勝る力強さがあるとすれば、
それは想像力という無限な世界へつながることではないでしょうか。
文字が言葉となり、文章となり 想像力を伴うと
それはどんな美しい映像をもってしても辿り着けない場所まで
私達を連れていってくれるのです。
視覚に限定されないぶん、それは個人的な経験や想いをも含んで
よりいっそう感覚的になるのですから。
私は絵が描けるわけでもなく
(ホームページ上の絵は全て万蔵氏が描いてくれています)
メロディーを紡げるわけでもない。
写真の知識も技術もないし、
声高に人前で主張できるだけの勇気もない。
だから 何かを伝えたいときは
こうやって文章を書くしか術がないのだけれど
読んでくれる人と、想像の楽しみを共有できるような、
文字の向こうに
色めき 香りたつなにかを残せるような
そんな「みえないブーケ」のような文章が書けたら・・・
いつもそう願っているのです。