冬時間
Witches Loaves
好きというわけでもないのに
なにかしら心に残っていて 忘れられない話というのが
誰にでもあると思うのですが
私にとってそれはO. ヘンリーの「Witches' Loaves」
古本屋さんでたまたま手にした短編集でその懐かしい話と再会しました。
実は原題を知ったのも それがはじめて。
というのもその話は自分が読んでいたものではなく、
小学校で給食の時間 朗読テープで幾度となく流れていたものだったからです。
あるパン屋に勤めるつつましやかで心の優しい中年の独身女性。
そのパン屋にいつも買い物にくる男がいる。
彼は穏やかで 礼儀正しく
少し貧しい身なりをしてはいるが 清潔感があって好感が持てる。
女はいつしか彼に関心を持ちはじめる。
しかしいつも彼が必ず買ってゆくのは
店の中で一番安い 固く古いパンをふたつきり。
ある日 女は彼の指先に絵の具の跡を見つけて
一人想像する。
「彼はきっと絵描きなのだ。寒い屋根裏で一人絵を描いている。
実力はあるのに絵は売れなくて いつも店で一番安いパンしか買えないんだわ」
彼女の想いはどんどん膨らみ、どうにか男を助けたいと思う。
その日もまた、男は固いパンをふたつ カウンターに持ってきた。
その時、外で消防車のサイレン音が響き
客はみな窓際へかけていく。
そのわずかな間、彼女は妙案を思いつき そして実行してのける。
彼女は 男のパンにすばやくナイフを入れ
見た目では分からないように バターをたっぷりぬりこんだのだ!
男が帰った後で 彼女は一人満ち足りた気分になる。
「彼はきっと寒い部屋に帰り、水と古パンだけの食事をしようとするだろう。
そしてパンにナイフを入れたら....」
幸せな想像はけたたましい店のベルによって破られてしまう。
戸口には激怒した男。
みたこともないほど取り乱して自分に向かって叫んでいる。
「このバカ女!」
女が絵描きだと信じていた男は建築の製図家だったのだ。
彼はここ数ヶ月間 市役所の設計図に熱心に取り組んでいた。
まず鉛筆で下絵を描き、それが仕上がるとその跡を
古パンのくずで消してゆく。
古パンの方が消しゴムよりよく消えるのだ。
「おせっかいのバカ女!」
女が入れたバターが製図を台無しにしてしまったのだった。
私はページをめくります。
消防車の音、荒々しく店のドアが開き
男がどなりこんでくる様子。
その緊張感とやるせなさ。
それらが昔と同じまま よみがえってきます。
それは立ち読みでもすぐ読めるほど 短くささやかな話で
私はすぐに読み終えてしまいましたが
その本を棚に返すことなく、レジへと歩きました。
クリスマスの日、
100円で手に入れた懐かしく心に残る話。