冬時間
スカンジナビアの色
‘北方とは私にとって心の中の磁針が指す方向であり、
北方の風景は私の指向する世界の象徴である。
私は静かな光に照らされた風景が好きである。’
という文章に出会ったのは、私が高校3年生の時でした。
「白夜の旅」
東山魁夷氏の北欧をめぐるエッセイです。
鹿の園、古い家並み、森と湖と暮れない夜。
描き出されている一昔前の北欧の風景は
どこか淡いブルーの膜がかかったような儚さで
ノスタルジックな魅力にあふれていたのですが
私が惹かれたのは それだけではありませんでした。
正直に、そして失礼を承知でいうならば、その時私は
「私と同じ人がいた」という気持ちに紛れもなく興奮していたのでした。
若い頃 留学をしようとした作者が
なぜ陽光降り注ぐ南方の地ではなく 暗く厳しい北を選んだのか、
氏はその答えとして彼は冒頭のくだりを述べていてたのですが
私はそれに深く共感したのです。
きたむきの こころ
それは自分でも説明がつかない、理屈や理由といった次元を越えたもの。
物心ついた時から はっきりとそうでした。
こんな無条件の憧れって誰にでもあるものなのでしょうか?
東山氏は、しかし こうも書かれています。
‘厳しく陰鬱な冬の後に芽生えてくる北欧の春をみたいと思った。
生の悦びをよく知っているのは むしろ太陽に恵まれない北欧の人々ではないだろうか。’
彼が本当に求めているのは 暗い季節の後にやってくる悦びや光。
静を求めるのは 実はその次にくるいのちの明るさを
誰よりも噛みしめたいからなのです。
静けさと情熱、それはお互いをお互いに内包したコントラスト。
心に響く一冊でした。
久しぶりにその本を読み返してみようと思ったのは
今年はじめて手にした雑誌「pen」の特集記事
‘北欧の照明’に思うところあってのことでした。
長い夜と厳しい冬を過ごす彼らが灯りへ求めるものは
決して‘明るさ’ではないということに はっとしたのです。
日が暮れたら、第2の太陽を作り 部屋を光で満たすのではなく、
不自由しないだけの灯りをともして 夜の時間と空間を愉しむ。
主役は控えめな光、そしてそれによって生まれる影。
そういえば あたたかだな、と感じる灯りは、
あたり一面を白々と浮き上がらせる蛍光灯ではなく
ほんのり窓からもれてくるオレンジ色や、ゆらめくキャンドルの焔。
それらにはいつも 光と同じだけ影の存在感があるのです。
光と影のコントラスト。
そのしずかな美しさ。
静と動、 光と影
熱い情熱をかかえこんでいる静けさに
私は惹かれずにはいられません。
静かな光に照らされたスカンジナビアの色に
私の きたむきのこころ が今日もさわぎます、
静かに、そして熱っぽく。