冬時間
愛の挨拶
かつて、20代の頃
起き上がることさえままならず
明けては暮れていく日々を
ベッドの上で虚ろに見送っていたことがあった。
それまでBGMのように聞き流していたエルガーの「愛の挨拶」の旋律が
すうっと立ち上がり、
心に染み込んできたのは そんな時のこと。
もっと色を もっと香りを、と
華やいだブーケを追い求める自分の前に
おひさまや土の匂いごと差し出された
それは、シロツメクサの束のよう。
ふりかざすでもない、ふりまくでもない
ありのままの美しさが
そこには在った。
イブの夜、
娘のバイオリンと私のピアノで
ささやかなコンサートを開き
「愛の挨拶」を 演奏した。
デュエット用の楽譜を探しだし
学生時代にアパートで使っていた古い電子ピアノまで運び込んだのはいいものの
練習は遅々として進まず。
私だけならとうに投げ出していただろうが
プログラムまで作ってはりきっている娘の手前、
ギブアップは情けないし、忍びない。
直前でどうにかどうにか形になった。
何度聞いても、何度弾いても
そのメロディーに胸がいっぱいになる。
もっと色を、もっと香りをと
求める自分は変わらずいるけれど
シロツメクサの確かなしあわせを
おひさまや土の匂いごと
今日も大きく呼吸している。
(2010.12.27)