冬時間
私の小さい妹
その電話を受けたのは 私だった。
大学の学生課、と名乗る声の主は
私を母親だと勘違いしたのだろう。
「お嬢さんが、退学届けを持ってこられていますが
受理してよろしいのですね」と告げた。
自宅の二階で 受話器を握りしめて
私は呆然と立ちつくした。
一体 どう返事をしたのかも 覚えていない。
暑い、暑い夏の盛りで
あとから、あとから汗がふきだした。
事態を把握するに従い
けれども、私を一番驚かせたのは
彼女が退学を決めた気持ちより、
それを、勝手に一人で決定し 遂行しようとした
その事実だったかもしれない。
あの夏から、7年。
身勝手な決断への償いのつもりだったのだろうか、
妹はその後、パン屋でアルバイトをしながら予備校に通い
念願叶い、医学生となり
そしてこの春、
医師としてのスタートをきった。
国家試験の発表を目前にした3月下旬。
妹と二人、神戸と京都を旅した。
神戸では主に、お買い物を楽しみ
京都ではゆっくり 郊外の美術館や書店を巡った。
妹は、小さい。
6歳年下ということだけでなく、
実際に、華奢で、小さいのだ。
春物の洋服を試着している妹を眺めて
こんな体のどこに、あの強固な意志と情熱があるのかと
つくづく思ってしまう。
そして、この小さな妹の中に
人の命を預かる知識と技術が備えた世界があるのだということに、
少したじろいでしまう。
けれども、やはり、妹は小さい。
「お姉ちゃん 決めてよ」
なんて言って、のんびりと私の後をついてくるようなところは
サンリオショップで、いつも私の後をついてきて
私と同じものを手に取ろうとした、幼い頃と変わらない。
いつだって そうなのだ。
いくつになっても そうなのだ。
私達が一緒にいると、私は姉以上に姉になって、
妹は妹以上に 妹になる。
私はずっと、1年生の彼女の手を引いて通学路を歩いた
6年生の私のままなのだ。
「おねえちゃん 決めて」と言われたら、
だから、はりきって、決める。
でも・・・
一番 大切なことは きっちり自分で決めて、
それを貫き通したね。
あの電話で 家族は皆、衝撃を受けた。
彼女一人で結論を出してしまったことへの不信感もあったし
皆、少なからず彼女のその後を心配していたのだ。
厳しい話し合いも あった、
けれども 妹は何一つ反論せず
ただ ひたすらに きちんと結果を出すことで
一歩、一歩、家族に自分の意志を証明していった。
自分の道を歩んでいった。
お姉ちゃんには、叶わないことかもしれない。
旅行プランくらいなら まかせてよ。
乗り換え先も、食事先も、宿泊先も、
お姉ちゃんが決めるから 大丈夫。
お姉ちゃんに ついておいで。
でも、その代わり、
あなたは、痛みを抱える人達を、
少しでも明るい場所に導いてあげられる
大きなお医者さんになってくださいね、
私の小さな妹。
(2005.4.23)