冬時間
ジャンピング!
ポットの底で
乾いたまま固く横たわっている茶葉。
そこに、熱湯が注がれる。
100℃のお湯が 眠れる茶を揺り起こし、葉を開かせると
それらはまるで生気を取り戻すかのように
勢いよくジャンピングを始める。
やがてゆっくりと紅茶のエッセンスが抽出され
馥郁たる香りと共に、
先刻とは全く違った世界が、
そこに生まれる。
私の心もかさかさの茶葉のように、
夜の底にうずくまっていたに違いない。
熱湯は、とあるメロディーだった。
八方塞がりで身動がとれない、
そんな夜。
腰をあげることさえも億劫で
いたづらにパソコンの画面を眺めていたその時、
とある動画サイトでそのメロディーと出会ったのだった。
しぼみきっていた心に
熱いメロディーがしみ込むと
心の奥の何かが
軽やかにジャンピングを始める。
それは身内にあかりが灯るような心強さで
みるみるうちに体中を明るく満たす。
つい数分前までは、
頑に閉ざされたこの心を開く鍵などないとさえ思っていたのに
こんなに簡単に、扉が開かれてしまうとは。
実際私はおかしいほど元気になっているのだった。
先刻とは、全く違う世界に私は居るのだった。
音楽の力とはかくや。
人は皆、思い通りには生きていけず
「難事の連続であるという人生の本質や、
この世で生きることの辛苦から逃れることはできない」けれど、
「だが、絶対的な座標軸ーたとえば‘喜びや美の基準’といったものさしーが
自分の中にあれば、
日々の難事や苦しみは、ずいぶんとやわらぐものである。」
昨年読んだ‘すべては音楽から生まれる’(茂木健一郎*PHP新書)の中で
とりわけ心に残っている箇所だ。
「これは、あくまで自分のものさしだ、という点に強みがある。
世評や人気といったような、
他人を介在するものさしではない。
浮世の表面的なこととは関係がない。
自己の体験から生まれた独自の軸なので
揺らぐことなく自分を内面から支えてくれる。
絶対的な座標軸の存在が、その人にとって、
生きるということの決め手になるのだと思う。(略)
座標軸があれば、周りがどう思おうと関係ない、という潔さを持てる。
周りがどうあろうと、自分の中から光を発し続けていればいいのだ」と
いう域に達することができるのだ。
その光源たり得るものとして、音楽はある。」
座標軸と言えるかは分からない。
けれど、音楽は私にとって
今夜のように「まだ大丈夫だ」ということに
気がつかせてくれる特別な力を持っている。
新しいメロディーは、いつだって新しい可能性を内包している。
まだ大丈夫。
きっと大丈夫。
心の中で希望がジャンピングを始めたら
それはもう、本当に大丈夫ということなのだから。
(2009.5.08)