冬時間
カレンダーを買った日
10月某日
久しぶりに試験など受け、
解放感にあふれ、ひとり会場を出る。
雨の中、傘を差して待ち合わせ場所に向かう。
静かな雨音。
通りでは時折、タイアのきしむ音。
ヒールの音も、また耳に心地よく、
ウィンドウに写る自分の姿勢を正してみたりする。
秋の雨降りは肌寒く
途中、あたたかそうな灯りと、香ばしい珈琲の香りのもれくる喫茶店に
吸い込まれそうになる。
待ち合わせた本屋には
まだ、ふたりの姿はなかった。
しばらくあちこちのコーナーを歩き回るも
すれ違いが気になり、どうも落ち着かない。
連絡しようにも、携帯もない。
探してみても 近くに公衆電話は見あたらない。
基本的に電話で話すことが得意ではないので
電話を携帯するなど、私にはちょっと勘弁。
そんな風にこれまできたけれど
さすがにこの状況は困った。
時代に取り残されたみたいだ、なんて思いながら
本屋を出て商店街を歩き、
ようやく見つけた、
それこそ時代に取り残されたような小さなタバコ屋の前で
いそいそとテレホンカードを出しながら
訳もわからず、なぜか落ち込んでしまう。
そんな私の後ろを、携帯で軽やかに話しながら
沢山の人が通り過ぎてゆく。
日曜日、しかも夕方で雨模様。
道は渋滞していたようで
結局かなり遅れてふたりと合流できた。
遠くから旦那さまに抱っこされた娘の
黄色いワンピース姿が見えた途端、ほっと安堵。
数時間も離れていたせいか、
駆け寄る私に 娘は少しつれない。
目を合わせようとしないと思ったら
今度は、硬い表情に。
まったく。
ママが悪かった、悪かった。
抱っこしたり、話しかけたり娘の機嫌をときほぐしながら
とりいそぎ、本屋近辺での買い物だけを済ませ
十字路にあるカフェに入った。
今日は迷わず、アメリカンコーヒーを頼み
二階に上がると
窓の外は もうすっかり暮れかけ。
雨に濡れたガラス越しに町がにじんでいて
なんということなしに 心もとなくなる。
よくあることだ。
町中にいても、沢山の人に囲まれていても
音楽がかかっていても
こんな気持ちになることが
子供の頃から、よくあった。
自分に子供ができても、それは変わらない。
隣に置いた紙袋には
いましがた買ったばかりの2003年のカレンダー。
来年もまた エドワード・ホッパーの絵のものだ。
グラマラスでありながら そうあればあるほど、
寂しげにうつる女性達や
人の気配はあるのに、人の姿の見えない
荒涼として音のない風景。
圧倒的な寂寥感が漂う彼の絵が、私は好きだ。
それは、例えば、病気や戦争といったなんらかの理由によって
もたらされる不穏感とは異なり、
例えば、日曜日のカフェで、ふと私にしのびよってきた
この感じとどこか似ている。
特別な原因などはない。
ただ、そこに在ることの孤独、
と言うこともできるだろうか。
突然おそわれる深い心もとなさ。
彼の絵は、おそらくそういう自分と
どこかで共鳴している。
来年のカレンダーでは
とりわけ、1932年に描かれたRoom in Brooklynが気に入った。
はじめて観る絵だ。
明るい色のフルーツが描かれた作品Tables for Ladiesもはじめて観たけれど
その鮮やかさの中にさえ、彼独特の影がはっきりと息づいている。
圧倒的な寂寥感。
額に入れて飾るには 時に息苦しい。
わざわざ画集を広げるよりは 身近にその静寂を感じたい。
だから、毎年カレンダーで
ひと月、ひと月
その絵と向き合いたい。
Hopper's painting speaks to us on
some unconscious level.
They make us think;
they make us feel.
カレンダーにはそう添えてある。
禁煙席にいたものの
細く煙草の匂いが流れ込んでくる。
珈琲と煙草と、心もとなさと雨。
こういう空気は決して嫌いではないのだけれど
小さな娘連れだ。
急いで残りの珈琲を飲みほし
「今度こそ携帯買う?」と聞いてきた旦那さまの言葉を
今日もまた、笑ってはぐらかす。
「考えておく。」
いつも連絡がつくような人生は、ごめんだ。
公衆電話探して歩き回ったことなどすっかり忘れて、
やっぱりそう思う。
どこにいても誰かとつながる携帯があったとしても、
それは決して 心もとなさを救えるものではないことを
よく知っているし、
まあ要するに、結局のところ面倒なだけなのだ。
容赦ない呼び出し音や、残されたメッセージに
いつどこにいても笑顔で答えられるほど、まだ大人ではない。
‘ホッパーの寂しさに耐えられなくなったなら
その時は、買おうかな、ふふ・・・’
心の中で軽口をたたく。
この次も又、きっとホッパーのカレンダーを買うだろう。
その頃の私は、さすがに携帯を持っているだろうか。
そんな事を思いながらカフェを後をする。
そんな日。
カレンダーを買った日曜日。
なんという特別なことはないけれど、
なぜかしら心に残った日、
ただ、つらつらと、これはその記録。
・トップの写真
Room in Brooklyn(Edward Hopper)
2003年度カレンダーより・
(2002.10)