冬時間
eyes to me , eyes to you
笑い声、泣き声、絵本をめくる音、スリッパをパタパタさせる音・・・
小児科の待合室は子供特有の熱気で充満していました。
一ヶ月検診の為 連れてきた娘は
そんな中 いつもとは違う雰囲気を感じとっているのか
ぱっちりと目をあけ 身じろぎひとつせず
周りの空気を全身で受け止めているかのようです。
ケープとおくるみでしっかりとくるまれ
顔だけをこちらに向けた彼女の 大きく見開かれた二つの目。
まだ はっきりと見えているわけではないだろうけれど
その瞳は しっかりと、そしてまっすぐに私に向けられているのでした。
1ヶ月前、私はママになりました。
産院の外来ロビーでは
オルゴールの優しい音色が 早くもクリスマスのメロディーを奏でていた11月の午後。
病室まで届くその軽やかな調べに包まれ 産まれたばかりの娘を抱く私の姿は
しあわせそのものに見えたかもしれません。
確かにそうでした。
しかしまた、同時に 私はひどく途方に暮れてもいたのでした。
子供を生んだその瞬間から、もしくは妊娠を知ったその日から
母性というものが溢れでてくる人も、確かにいるのかもしれません。
母は強し、のエネルギーが充ちてくる人も、おそらくいるのでしょう。
けれどもその時の私は、
ブラインドから病室にこぼれくる晩秋の日差しのように頼りなく、
そして、そう、紛れもなく途方に暮れていたのでした。
出産は、感動や興奮、緊張や不安、喜びや痛み、それらすべて含めて
確かに これまでの人生には経験のない大きな出来事でしたが
その余韻にひたる余裕も時間もなく
全てはフルスピード、しかもノンストップで動き始めていました。
それは途方に暮れるに十分な、
いや、実際には途方に暮れている暇さえもない勢いで私を圧倒していたのです。
子育ては育児雑誌の広告のようにふんわりしたパステルカラーではなく、
赤ちゃんは、天使ではなく 紛れもない一人の人間。
全てをこちらに委ねなければ生きてゆくこともできない、ということは
すなわち こちらが全て彼女のペースで生活するということです。
承知していたとはいえ、それは予想を遙かに上回るもので
昼夜区別のない彼女との生活は 退院後も加速度を増すばかり。
ふと気が付くと おそろしく長い、そして短いひと月が過ぎ
疲労感はピークに達しようとしていました。
そして 私を見つめる二つの瞳。
「いとおしい」ということが どういうことかを
私はその瞬間、知ったのかもしれません。
それは はじめてだらけだった出産それ自体よりも
より新鮮で、胸を揺さぶられる体験でした。
沢山の子供達であふれるこの部屋の中で、
私が抱きしめているのはこの娘だけ。
そして私を頼っているのも この娘だけ。
まっすぐな彼女の目に、まっすぐに応えてあげられるのは
誰でもなく、私だけなのだ・・・
それは そう思える時間そのものまでもがいとおしいもので、
やわらかに彩られたその一瞬が訪れた時、
腕の中の娘は 天使よりももっと愛らしい存在でした。
私をじっと見つめていたあの瞳を覚えている限り、
この瞳を守ってあげたいとこみあげてきたあの思いを忘れない限り、
私はどんなことがあっても、
まっすぐ彼女と向き合ってゆけると思うのです、
この先、ずっと。
(2001.12.28)