冬時間
キッチン
夜中に目が覚めて、眠れなくなった。
右に左に寝返りをうつも
いよいよ目は冴えるばかり。
寝室を抜け出して
ネットをしたり、ココアを飲んだり
眠気が訪れるのを待ってみたけれど
どうやら今夜は無理みたい。
午前三時、ついに観念した。
少し早いけれど、朝の支度を始めよう。
お米を研いで、ざるにあける。
おにぎりの具にツナを炒る。
野菜を刻み、水を加えたスープのお鍋を火にかける。
リビングダイニングの片隅にある小さなキッチンで
そこまで作業をして、ふっと一息、
いくつもの段ボール箱の積まれた部屋を見渡した。
明日から引っ越しが始まる。
とはいえ、段ボールの山に囲まれながらも
暢気に朝食の支度などしていられるのは
それが大掛かりなものではないからだ。
引っ越し・・・というより移動というべきか。
7年目に入った今の住環境を私達はとても気に入っているけれど
娘も成長して、さすがに手狭になってきた。
楽器を始めたこともあり、
周囲を気にせず のびのびと練習できることも望ましい。
そう考えていた時に
偶然、同じマンションの同じ階、
角部屋で、しかも部屋数の増える間取りに空きがでることを知ったのだ。
それなら、と悩む間もなく移動を決めた。
私にとって、この引っ越しの楽しみの一つはキッチンだ。
新しい部屋は キッチンが独立している。
最近は、対面式やオープンなキッチンが主流なのか
あまり独立型の間取りは見かけない。
「家族の顔を見ながら」や、「みんなでわいわい」も
もちろん楽しいだろうけれど
私自身は、普段の料理はできれば一人が嬉しい。
野菜の皮を剥いたり、ひたすらに刻んだり、
ソースをじっくり煮込んだり・・・
それは集中しているようで、いい具合に頭が空っぽのような、
いろいろと思いを巡らせているようで、ぼんやりとしているような
特別な時間。
キッチンで料理をするということは
すなわちそういう時間を享受することでもある。
だから、実験室のような、隠れ家のような
ちょっぴり閉鎖的な古いキッチンに
心地よさを感じてしまう。
沸騰したスープの火を弱めて、
別のコンロにコーヒー用のお湯をかけた。
シンクにもたれて、段ボールの山を見る。
くつくつスープの煮える音を聞く。
夜明け前、自分以外は誰もいない。
それでも・・・
新しいキッチンに期待しながら、それでも素直に思い返す。
案外、楽しかったな。
リビングダイニングの一角、
静けさも、落ち着きもあったものではないこの小さなキッチンで
背中で家族を見ながら、聞きながら
だいどこ仕事をした7年間の日々。
理想とはかけ離れていたけれど、確かに、楽しかった。
思い出しているようで、ぼんやりしているようで
懐かしんでいるようで、まだまだこの先も続くような気もするようで
今は、このリビングダイニング全体が
ひとつの独立キッチンのように心地よい。
私も、調理器具も、思い出も、
全てをただ静かに包み込んでくれる、あたたかな繭のように。
さあ、夜があけたら忙しくなる。
お湯が湧いたら、濃いコーヒーをいれよう。
(2009.1.22)