冬時間
まちにまって
今も昔も、それは運動会の枕詞らしい。
娘の運動会の朝のこと。
校長先生挨拶か、来賓挨拶か、
どこかで耳にするとは思っていたけれど
やはり校長先生の口から「まちにまった」というフレーズが飛び出した。
待ちに待った運動会。
遡って私の時。
小学2年の頃だっただろうか、
意気揚々と提出した運動会の日記は
冒頭から朱色のペンで訂正が入っていた。
「今日は、町にまった運動会」
ずっと信じていたのだ。
「まちにまった」というのは
楽しみで、待ち遠しくて、
町中みんなで待っているというスケールの大きさの表現なのだと。
だから、なんのためらいもなく、張り切って書いた。
「今日は、町にまった運動会」
返された日記帳を前にした時の驚きを
まだ覚えている。
正解を知って30年経つのになお、
耳が捉えた「まちにまった」という響きは
まず‘町にまった’と変換されそうになることさえある。
幼心に勝手に抱いていた「町に待った」のイメージは、
それほどに大きかった。
ところで、運動会の練習のあったお天気のよい日、
汗をかきかき、真っ赤な顔で帰宅した娘が言った。
「今日は、あちーって感じの日。
あつーでも、あついでもなく、
あちーって感じ。」
その日、私はちょっとしたことでへこんでいて、
それは、「落ち込んでいるでも、沈んでいるでもなく
へこんでいる」という感じだと
しみじみ思っていたものだから
なんだか可笑しくなってしまった。
言の葉とは、いみじきものなり。
正しいか否か、
辞書に載っているか否かなど
時に、あまり問題ではない。
そんなことをひょいと飛び越えたところで、
自分自身と分かち難く繋がっている。
(2010.05.31)