one fine day
右腕に、大きな買い物袋。
数日分の食材がずっしりと重い。
左腕に、10キロを超えた娘。
じっとしていないので、これまた力がいる。
今日もまた、「抱っこ、抱っこ!」。
閉口するくらい「抱っこ、抱っこ!」だった。
悲鳴をあげる肩や腰にむち打ちつつ、
買い物を済ませ、駐車場まで歩き、
家まで車を走らせるも束の間、
また抱っこし、階段を登り、ひたすら歩き、
ようやく玄関に辿り着いたところだったのだ。
いっときでも早く、両手を解放させたい。
喉を潤したい。
ああ、それなのに!
下におろすやいなや、
靴箱をあけて、長靴をだせ、だの
三輪車にしまってあるボールをだせ、だの
なんのかんの。
しまいには、靴をはいたまま、
小さな玄関スペースにしゃがみこんで
手にしたボールで遊び始めてしまった。
心の中で「勝手にしなさい」とため息をつき
私は無言で、玄関を離れた。
時計をはずし、手を洗う。
ーがさごそ、と遊ぶ音ー
買い物してきた物を、冷蔵庫にしまう。
ーひとりおしゃべり、ときどき奇声ー
お茶をついで飲む。
ーまだ、がさごそ、きゃっきゃっー
お茶も飲み終わり、ひと息つき
そろそろ彼女を連れてこよう、と席を立った。
もう、飽きてくる頃だろう。
遊びに飽いたら、
ふと、喉の乾きか空腹にでも気づき
こちらに駆け寄ってくるに違いない。
おそらく、靴を履いたまま。
玄関を覗いて
はっと息をのんだ。
彼女は、今、まさに
靴を脱いでいるところだったのだ。
座り込んで、もどかしげにマジックテープをはずし
一足ずつ脱いでゆく。
それから、さらに驚いたことには、
ひざまずいて、
今、脱いだばかりの靴を
きちんと揃え
それを確認した後、
ようやくこちらにきびすを返したのだ。
驚きと同時に、私は反省した。
脱ぎにくい夏のサンダル。
親が脱ぎ着させてやるものだと、
ずっと思いこんでいた。
あたりまえのように私が靴に手を伸ばしていた。
彼女が自分でできることなのだと、
考えてもやらなかった。
ちゃんとひとりで、
できることだったのに・・・
そして、もちろん とびきり嬉しかった。
靴を脱ぎ
それを、揃えることを覚えていてくれたから。
彼女が靴を履くようになった頃から、
折に触れ、それは伝えてきたことだった。
ちゃんと届いていたんだなあ。
伝えながら、二人分の靴を揃えてきた。
ちゃんと見ていたんだなあ。
今思えば、私がそうすることで
彼女が自分で行動する隙をつくってあげなかったことは
やはり反省すべきことだけれども。
一歩進んで、二歩も三歩も下がる。
子供の成長など
そんなことの繰り返した。
「抱っこ、抱っこ」の泣き虫さんで、
正直、もてあましてしまうことも多い。
けれども、ときどき
数歩とばしで、大きく成長した姿を見せてくれることもある。
そう、例えば、今日のように。
でも、きっと、それは数歩とばしというわけでなく
一見、何の変化もないように見える日々の中で
ゆっくりゆっくり根が育ち、茎に支えられ、
ある日、目に見えて花が咲く、ということだけなのかもしれない。
見守る側は、だから、
相手を信じて根気づよく待ってあげること、
そのヘルプは必要なのかどうか、を
ことあるごとに確認し続けてゆくことが
大切なのだろう。
あらためて、自分にそう言い聞かせ
こちらに駆け寄ってきた娘を思いきり抱っこし、
褒めて、褒めて、褒めてあげた。
今日はなんていい日!
こんな一日が用意されているから、
筋肉痛に悩まされる今日この頃も
まあ、悪くはない・・・かな。
揃えられたサンダル、
右左が逆で外側を向いていたことには
もちろん、今は目をつむっていよう。
お行儀よく外を向いたお花のサンダルは
なかなか かわいらしかったしね!
(2003 9.17)