冬時間
ちいさな大事件
気がついたのは火曜日でした。
月曜日は雨降りでどこにもでかけなかったから。
「あれ?・・・ない」
火曜日の朝、さあ家を出ようという時になって
それがいつもの場所にないことに気がついたのです。
それでもはじめ
おもちゃ箱の中や、ベッドルームなど
紛れていそうな場所を探している時は、まだ余裕がありました。
これまでも こういうことは何度かあり
たいてい へんてこな所で見つかっていたのですから
また ひょっこりでてくるだろう、とタカをくくっていたのです。
ところが、その日は違いました。
ここは、と思う所をしばらく探し続けましたが
どこにも見あたらないのです。
日曜日にはそれを持ってでかけたので・・・と
記憶を辿ってゆき
そこではじめて嫌な予感がしました。
その日は家族揃って買い物に出かけてあちこち歩き回り
(もしかして、どこかで落とした?最後に見たのはいつだっけ・・・)
帰りの車の中で 娘共々、気分が悪くなってしまったのでした。
(あまりのきつさに、彼女の持ち物や座席の荷物を ささっと集めて車を降りたっけ・・・)
ぐるぐる、ぐるぐるとその日のことを考えながら
もしや、と不安が広がります。
家に着くなり 無造作に置いた本屋の青い袋。
しばらく休んだ後、本を取り出して
そのままゴミ箱に捨てたけれど
もしや、もしや、
その中に入っていたのでは?
車の中で荷物をまとめるとき、
そういえば、とりあえずその辺りのものをその袋に入れたような気がする・・・
はっとしてゴミ箱を見るも 今日は火曜日。
すでに朝早く、ゴミは出してしまっていました。
時計を見ると、午前10時前。
とっくに収集車も行っている時間です。
念のために 車の中も探してくれた万蔵氏からも
見あたらない、との連絡。
どうしよう・・・
心が一気に落ち着きをなくしてしまいました。
どうしよう、あれをなくしてしまったかもしれないなんて!
「おうちに帰っちゃったのかなあ・・」
娘はのん気にそんなことを言います。
「でもあれはあなたの物だから ここがおうちだよ。
ねえ、どうしたか覚えていない?」
どこかにいってしまったのは、娘のバッグなのです。
ちゃんと持っていた?どこかで落としたりしなかった?
けれども 二歳児にそれを尋ねるのは無理なことでした。
きちんと見ていてあげなかった私が悪いのです。
このまま考えても らちがあかないと思い
沈んだ気持ちを抱えたまま 家を出ましたが
足はゴミステーションに向かっていました。
小さな子供用のバッグのことですから
本屋の袋ごとゴミに出してしまったのかも、という思いを
どうしてもぬぐいきれず
万が一 まだ収集車が来ていなかったら、と期待してしまったのです。
すると、びっくりすることに
いつもは八時半に集められるゴミがまだそのままあります。
THANKS GOD!
道路に面したその場所で、恥ずかしい気持ちはしましたが
もし その中にあれが入っているとするならば
それが分かっていながら取り出さないという方が
もっと後悔することになってしまう、と思いました。
幸いなことに、我が家が出したゴミ袋は一目で分かりましたので
私はそれを又、持ち帰り とりあえずベランダに置いて、
娘を公園に連れていったのでした。
無邪気に遊ぶ娘を見ながらも、その後、スーパーに行っても
考えるのは バッグのことばかり。
すぐにでも確認したかったゴミ袋を敢えて見なかったのは
こわい気持ちもあったからです。
もしそこになければ、後はもうある場所がない。
‘ああ、そうなったら寂しいなあ。
あれがなくなったら 本当に寂しい。’
朝からこれほどまでに私を突き動かしているのは
まさに その気持ちだけなのです。
‘寂しいなあ。だってあのバッグは・・・’
けれども 同時に
なくなってしまう気も しませんでした。
何の根拠もないのですが
きっとどこかにある、ここに戻ってくるという思いが
心の奥の奥の方にあったのです。
気にかけて電話をくれた彼にそう言うと
受話器の向こうで、苦笑しているのが分かりました。
そして帰宅後、意を決して開けてみたゴミ袋には
OH MY GOD!
ゴミ以外のものは 見つかりませんでした。
込み上げてくる残念な思い。
高価な物だったから、というわけではありません。
それは決して高価な物ではなかったし
値段だけで言えば、なくなって惜しいものは他にあります。
ただ ただ 大切な物だった、
それだけなのです。
だから寂しいのです。
そのバッグを買った時、娘はまだ1歳でしたが
それ以降、おでかけする時には必ず持って行きましたし
アルバムにおさまる写真にはほとんど 一緒に写っています。
おかしな気もしますが
それは 紛れもなく娘の成長と家族の毎日に寄り添ってくれた
ひとつの大切な‘物’だったのです。
残念・・・
夕食の支度を始めた時には
ほとんどもう諦めかけていました。
そして ふと思い当たったのです。
これが最後だと思い、
私は日曜日に訪れた本屋に電話を入れていました。
期待をしているというよりは、
きっぱりと諦めるために、確認したかったような気がします。
「こげ茶色をしていて、中にはハンカチが入っていると思います。
クマの刺繍が入っているハンカチが」
そう告げた時に
「・・・・これかなあ」と
受話器の向こうで店員さんがぼそっとつぶやく声が聞こえた時には
ですから 信じられない思いでいっぱいでした。
「ありますかっ?」
「はい、おあずかりしておりますよ。
お子さん用のポシェットですよね」
「ありがとうございます。近いうちに取りに伺います」
込み上げてくる、安堵の気持ち。
そういえば、日曜日、
本屋の一角にあるプレイコーナーで しばらく娘を遊ばせていたのでした。
絵本やおもちゃ、それに沢山の子供達に囲まれてすっかり舞い上がり
娘も私達もそれを落としたことに、
すっかり気づかずにいたというわけなのです。
どうしてそれに早く気がつかなかったのだろう。
大きなゴミ袋をいそいそと持ち帰る自分が
今ではとってもおかしい!
週末を待てませんでした。
あると分かれば すぐにでも迎えにいってあげなくちゃ。
そんな気持ちで居ても立ってもいられなかったのです。
その本屋は少し離れた場所にあったので
翌朝、水曜日。私達はバスに乗り込みました。
かくして開店直後の明るいレジで それは娘の手に戻ってきました。
手渡してくれた店員さんは 年輩の男性。
わあ、嬉しい。
やっぱり又、私達のところに戻ってきてくれた・・・
感激している私の横で
娘ときたら
「だいじなだいじなわたしのバッグ、どうしておじいちゃんが持ってたかなあ?」
思いきり脱力させられてしまいましたが
まあ、いいでしょう。
小さな焦げ茶色のバッグを娘の肩にかけてあげながら
やっぱり、こうでなくちゃね。
又、嬉しさが込み上げてきます。
買った頃は、とことこ危なかしく歩いていた娘が
さあっと絵本のコーナーの方へ駈けてゆきました。
もちろんバッグをかけて!
笑っちゃうようなささいなこと、かもしれません。
でも、我が家には小さな大事件、だったのですよ。
おかえり!
クマの刺繍のハンカチと・・・キャンディーの包み紙が入っていたね。
(2004.3.24)