冬時間
冬の迷い子
それは冷たい小雨の降る午後で
私はお遣いものを選びに洋菓子店に居た。
これから 薄暗くけぶる窓の外に出て
この雨の下を歩いていくのかと思うと
少なからず気が滅入る。
パイを包んでもらいながら
小さくため息をついた時、そのピアノに気が付いた。
頭で「ラフマニノフだ」と思う前に
身体の奥に ある感情が呼び起こされる。
それはもう一分の狂いも例外もなく。
例えば、私には記憶を失っていた期間があって
あるいは自分の知らない記憶を持っていて
その旋律だけがそれを喚起する鍵だと言えばいいだろうか。
ともかく、ラフマニノフ以外にその感情の扉を開けることはないのは確かだ。
私はいつも迷い子になったような気がするのだ。
どこか遠い見知らぬ国の、見知らぬ路地で。
それはとても心細い。
心細くて、
でも、その奥の奥に、不思議な甘美さがある。
畏れにも似た感情と隣り合わせの
究極のロマンティック。
煌めくようなピアノの高音は
暗い路地から不安に見上げる星々の煌めき。
道しるべのようでいて、
でも決して手は届かない。
暖かい店のドアを開けると
足下からしのびよる冷気と、降り続く細かな雨。
それでも 手にした包みのぬくもりと
耳に残るラフマニノフの余韻で
少しだけ果敢に踏み出せそうな気がする。
いざ、迷い子に!
心を決めて傘を広げた。
(2008.2.02)