冬時間
今日
小学生の頃、日記の宿題が多かった。
とりわけ、2年生から6年生までは
それが日課、
つまり毎日の宿題だった。
文章を書くことは嫌いではなかったけれど
毎日、というのは決して楽しいことではない。
今、実家の棚の奥深くに仕舞われた
その頃の日記帳をめくると、
まったくやる気のないものや、
汚い字で書きなぐっている
やっつけ文章がわんさと詰まっている。
日記は時間のかかる宿題だし、
日常は、そう変わり映えのしない日々の連なり。
文章を書くこと以前に
書くべき何かを毎日探すのも一苦労だ。
どうにも書くことが見つからず、
困り果てた末、
学校の帰り道にカレーのにおいがしてきたことを
書いたことなど、よく覚えている。
娘は今、4年生。
日記の宿題がとても少ない。
進級した春から数えて、日記の宿題がでた回数は
両手で足りるほどだ。
低学年の時でさえ週一回はでていたから
日記を書く機会はぐんと減っている。
それ自体が問題というわけではない。
残念だと思うのは
日記の宿題がでる日が
運動会、遠足、宿泊訓練、音楽鑑賞会・・・
なにか特別なイベントがあった時だけだということだ。
あらかじめ、テーマは用意されているわけだから
自ずと書くことは決まってくる。
書くべきことも多くあって、
確かに書きやすいだろう。
でも、それだけではもったいない、
と切に思うのだ。
特別なことがあるわけでない、ごく普通の一日、
でも、昨日でも明日でもなく、
まぎれもなく「今日」という一日の中に
自分で、何かを見つけ出す
それを言葉にしても、しなくても、
まずは、それが大切なことだと思うから。
毎日、日記を書く。
それはつまり、
その日を見つめるということだった、と今なら思う。
平凡な一日に目を凝らし、
何を見つけるか。
それは、すなわち
足元の自分の幸せを見いだすことと
とても近しいものではないだろうか。
(2012.1.20)