冬時間
「あなたに、よく似合う」
やわらかな日差しが園内に満ち、
冴え冴えとした冬の青空を映した池が
気持ちよく横たわる午後。
寄り道をしながらあちこち歩き回る娘と
笑顔で彼女を見守る 私の両親、
その ゆるやかに伸びる長い影を芝生の上に追いながら
ふと目をあげたその瞬間、
それまでの長閑な時の流れが ほんの少し滞った気がしました。
視線の先には 華やかに装った新成人。
揃って晴れ着姿の彼女達は、
成人の日の記念に、と後楽園を選んだのでしょう、
白い襟巻きもまぶしく、
おしゃべりをしたり、記念撮影をしたりと、楽しそうです。
娘に気を取られていた母も、その様子には気がつき
しばらく彼女達の晴れ姿に見入っていました。
「どう思っているのだろう・・・」
居心地が悪いような、
どことなく恥ずかしいような気持ちで
私はそっと目をそらさずにはいられませんでした。
私が成人式を迎えたのはもう11年も前のこと。
その時の私は、晴れ着も着なければ、
故郷での成人式にも出席しませんでした。
今となっては、なぜそんなに意固地になっていたのか
不思議なくらいですが
当時の私は 成人式に着物を着るということに、
ちっとも心が動かなかったのです。
いや、それどころか むしろ着物を着ないことに
私なりの成人の主張を込めていたつもりだったのだと思います。
けれども母は そのことを大変残念がり、
意見の食い違いから、何度か言い争ったことさえありました。
「せっかくの機会なのに」と母が言えば
着物を着ることだけが大切なんじゃない、とつっぱり、
皆が着るから私にも着て欲しいのではないだろうか、と勝手に思い込んだり。
結局、その後も私学への進学を希望していたことを盾にとり
成人式に着物はいらない、という言い分を通しました。
しかし、今なら母の気持ちがどこか分かる気がするのです。
あの時 母はただ単純に 娘の晴れ着姿を見たかっただけなのではないだろうか。
娘が生まれ、今は私も彼女の洋服を選ぶことが楽しみのひとつになりました。
ほんの日常着を買いにでかけても 目移りして、
これも似合いそう、あれも着せてみたい、となかなか決められません。
どんな娘も見てみたいのです、
それがきっと母親というものなのでしょう。
思えば、母もそうでした。
子供の頃から、母と一緒に洋服を買いにでかけると
どんな服を試着してもほとんど「似合う」と言うものですから
妹など「あてにならないんだから!」と呆れていたほどです。
でも、今なら思うのです。
似合う、というよりはきっと
その姿を見てみたいのだと。
思い起こすに、帰省時や、ピアノの発表会の前には
特に迷いながら「似合う」を重ね、
時には、父に内緒で二着とも買ってくれたり。
そんな母でしたから
20年育てた娘が迎えた区切りの時には
晴れ着を着せてあげたいと思ったのは、
また、晴れ着姿を見てみたいと思ったのは
むしろごく、自然なことだったのでしょう。
そして頑なに私がそれを拒むことが
ひどく残念だったに違いありません。
ですから、数年後、結婚が決まり、
結納のために着物を仕立ててくれる時の母は
本当に嬉しそうでした。
薄桃色の訪問着。
それは、何度もの「似合う」の中でも
とりわけ母が私に合うと言ってくれた色味のもので
袖を通す日を本当に首を長くして待っていてくれたのです。
又、私もその頃には、
着物を着ることが楽しみとなり
結納はもちろん、
まだまだ子育てが忙しくて仕方なかった時期の
娘のお宮参りにも
わざわざ着てでかけたくらいでした。
まぶしいほどの成人達を見て、
今、母はどう思っているだろう?
あの11年前のことを思い出して
やっぱりまだ残念に思っているだろうか。
いや、結納だ、お宮参りだ、と
嬉々として晴れ着姿になる娘を見て
やれやれ、と心の中では思いつつも
「似合う」と笑いかけてくれているから
きっと もう、それでいいのだろう。
少しだけ風のでてきた、園内。
日が陰ると やはり一月、
脱いでいたコートをまた、羽織る寒さです。
白鷺が一気に空に舞い上がり、
池に静けさが戻ってきました。
娘のささいなしぐさにも声をあげて笑う母に
さりげなく声をかけてみました。
「この子の七五三のお祝いには、一緒に着物を着たいね」
娘と私、そして母とで
心からの晴れ着姿になれたなら
その時は、私も二十歳の時のことを笑って話せるかもしれません。
「よく似合う」
三十を越えた娘にも、母はまだそう言って
目を細めてくれるでしょうか?
(2003.1.25)