冬時間
いつか秋のN.Y.で
‘秋のN.Y.は最高!
新しい文房具を揃えたくなる’
その日、私はいそいそとVTRを借りてきて
コーヒーとドーナツまで用意していました。
「YOU 'VE GOT MAIL」
ストーリーが、というより
主人公の勤める小さな児童書専門店‘街角の店’の雰囲気が、
そして 大都会に美しく色づいている秋のNYの風景が大好きで
ついこの季節には見たくなる映画です。
新しい文房具を揃えたくなる、というのはその中のセリフ。
新しい学年がはじまる4月の楽しみが
新しい文房具を探すことだった学生時代の自分と重ね合わせ
秋から新学期がはじまる海の向こうアメリカでも
きっと同じような楽しみと共に 新学期を迎えるのだ、と
紅葉の街路樹を歩ける新学期は どんなに素敵だろうか、と
とても好きなセリフの1つなのでした。
そしてその夜、
N.Y.での事件を知りました。
それから数日、私はまだ悪い夢を見ているような気がしています。
現実に起こったことなのだと、
痛みを受け止めなければと、思えば思うほど
体の芯がどこか麻痺してしまったようで
うまく自分の中の混乱を整理できません。
21世紀を迎えた今、
こんな形の悪夢にうなされるなんて。
現実には、今現在も 戦火やもろもろの災難に苦しんでいる国は他にもあるわけで
いつもはそれを新聞の中の出来事としてぼんやりと受け流しているくせに
今回の事件ではじめて
‘21世紀を迎えたこの時代に、こんな悪夢’
などと 考えてしまったこと自体、
私がすっかり平和ボケしてしまっている証拠には違いないのかもしれません。
また、宗教や政治がからんだ問題に軽々しく言及し
一方的な善悪の判断をくだすことの危険も、
又、何かが起こったときには 多角的な視点が必要なことも
それなりに分かっているつもりではいます。
それでも、
国の象徴であった建物が、
あのような形で、あれほどまでに破壊されつくされた様が
これから先、どれだけの人々に残像として焼き付いてゆくのかと思うと
あまりにやりきれません。
あの映像は、他国の私がメディアを通して見ていても
建物の物理的な崩壊であると同時に、
信じていたものが がらがらと崩れ落ちさる精神的な崩壊でもありました。
瓦礫の山と化したあの街を見ながら思うのです。
基礎を作り、柱を立て、形あるものに組み立ててゆく作業は大変だけれど
順を追って 時間をかけることで 不可能ではないだろう。
しかし、一度失われてしまった安心感や心の拠り所を再構築してゆく作業には
決まった手順も、法則もなく、
時間と共に取り戻せるとは限らないのに、と。
はじまりの秋、
新しい文房具を揃えたくなる秋、
そんなN.Y.の秋の記憶として
あのにわかには信じがたい衝撃の事実が残ってゆくのは
本当に悲しくて やるせない。
今はただ、いつかまた秋のN.Y.に
新学期の楽しさが戻ってきますようにと願うだけです。
そしてまた もちろん、
N.Y.だけでなく
世界中の子供達が、みな
‘新しい文房具を揃えたくなる’という
あたりまえのようでいて 実はとてもしあわせな明日を迎えられる日が来るよう
祈らずにはいられません。
・・・
2003年、9月。
文房具を買いに出て
新しい原稿用紙を前ににんまり、の午後を過ごしていたら
「そういえば以前、9月と文房具にまつわる文章を書いたこともあったっけ」と
いきなり思い出してしまいました。
Macのファイルから探し出したのが、これ。
2年前のちょうど9月に書いたものです。
9.11の衝撃は大きく
書いている間も、ずっとどこか落ち着かなかった私。
書き終えた気がしていなかったのですが、
今 こうして読み返してみると
どうにか最後まで書いていたようです。
未熟な文に変わりはありませんが
この時の思いは今も変わりません。
加筆も修正もせずに、
冬時間の片隅に残しておくことにしました。
(2003.9.06)