おでかけするよ
「やっぱり・・・」
レモンパイを食べ終えて、
私はそう切り出しました。
甘酸っぱいそのメレンゲを食べながら、
いや、そもそもお茶を飲んでいこうと誘ったのも
ゆっくり考えたいゆえの時間稼ぎだったと
言えなくもないのです。
さっきからずっと、
頭から離れないものがありました。
「やっぱり、買ってくる!」
残りの珈琲を急いで飲み干します。
彼は観念、の顔。
私がこんな風に決心した時には、
もう何を言ってもだめだとよく知っている
それは諦めの表情です。
「ここで待ってる。まだあるといいね」
それがゆっくり笑顔に変わってゆくのを見届けて
私はエスカレーターに急ぎました。
まだ、あるかなあ。
はやる気持ちを抑えつつ5階に到着。
子供用品売り場は 相変わらず
紙袋をかかえた親子連れで 賑わっていました。
確か、このあたり・・・
けれども、そう思って戻ってきた場所に
お目当てのものはありませんでした。
落胆と動揺。
気を取り直して
もういちど 売り場をくまなく見て回ります。
しかしやっぱり それは見あたりませんでした。
もう売れてしまったんだ。
そして後悔。
どうしてさっき買っておかなかったんだろう。
セールの機会に、とでかけたデパートでしたが
あまりの混雑に気持ちをくじかれ
売り場を後にしようとしたちょうどその時、
それは目に留まったのでした。
数時間前のことです。
焦げ茶色の小さなポシェットでした。
わあ、なんてかわいらしい!
お洋服のワゴンの隅っこに
それはただひとつ、ポツンとかけられていたのですが
半円の形や、同色のリボンが素敵。
子供のものだけれど
子供用品にありがちな不自然な華美さや
作りの甘さはありません。
ちゃんと作ってるよ。
小さなレディに対するそれは 作り手の気持ちの現れにも見えます。
そして 値段もぐんとセール価格。
娘に買ってあげたい、手にとってそう思いました。
「まだ早いよ」
彼はそう言いました。
確かにそうかもしれません。
歩けるようになったとはいえ まだふらふらとぎこちない娘ですから
首からポシェットを提げたりすると、
歩きにくいかもしれません。
とてもかわいらしいポシェットだけど
彼女にふさわしくないものなら仕方ない、
そう思い 結局その時は、ワゴンに戻したのでした。
けれどもその後、
他の売り場にいても、何を見ても
あのバックが頭から離れません。
やっぱりとても素敵だった・・・
でも・・・、を繰り返し
ようやく レモンパイを食べながら決心したというのに
やっぱり遅すぎたみたい。
誰かに買われちゃったんだ。
そう思ってエレベーターに向かおうとした時、
レジの横に 見覚えのあポシェット!
それは先ほどの位置からワゴンごと移動していたのでした。
うれしさがゆっくり胸に広がってゆきました。
「まあまあ、こんな小さいのに
ちゃんとバッグまで持って」
娘とおでかけすると、よく笑って声をかけられます。
あのポシェット
もう少し大きくなって使えばいい、なんて思って購入したのに
すっかり娘のお気に入りです。
いつも私の姿を見ていたのでしょうか、
買ってきたその日には 教えもしないのに、
さっさと自分の肩にかけて
家中を歩きまわっていたのですから
かわいいやら、おかしいやら。
ポシェットをかけていても
それなりに上手に歩けることも 嬉しい誤算でした。
帽子などこちらが無理に被せようと思うものには
頑として抵抗するというのに
自分が好きで身につけるものとは
小さいながらに上手に折り合いをつけているようです。
「おでかけするよ」
今では、私がそう声をかけると
いそいそとバッグを持ち出してくる娘。
やっとこ、やっとこ歩く小さな体に
いっちょまえなポシェット。
自分だけのものがある、ということは
想像以上に嬉しいものなのかもしれません。
「あら、かわいいバッグを持っているのね」
そう声をかけられるたびに、
娘もにこにこ。
そして私はこっそり、ほくそ笑むのです。
やっぱり買ってよかったな。
そんな私の横で
いったいなんだって女って生きものは
バッグやなんだというものがこうも好きなのだろう。
1才でこれだから。この先が思いやられるなあ。
なあんて
彼は困っているかもしれません。
(2003.2.25)