冬時間
一皿の記憶
子供の頃、「フルーツタルトと女の子」というお話が大好きでした。
それはアンネ・フランクが書き残した童話集におさめられていたお話のひとつ。
当時の私は タルトの味など知るよしもなかったのですが
挿し絵で見るフルーツタルトというお菓子には
それはもう すばらしく素敵なものに違いないと思わせる魅力があり、
焦がれるようにフルーツタルトに想いを寄せたものでした。
フルーツタルトの印象があまりに強かったので
その作品の登場人物である少女の‘リタ’という名前さえもが
ことさら素敵な名前に思えた時期もあり、
童話もどきを書いていた少女時代には
よくリタという名前の女の子を登場させていたものです。
そういうわけで 大人になった今でも
フルーツタルトは私にとってどこか特別な洋菓子です。
他にも沢山 大好きなケーキはあるので
実際にお店で買うことは稀なのですが 特別度は群を抜いています。
そしてまた フルーツタルトへの憧れは
幼い私がお菓子を通して感じた、
はじめての‘外国’への憧れだったとも言えるかもしれません。
母が作るスパイシーな鶏肉とマッシュルームの煮込み。
お鍋の底に残るソースまでもが美味しく
一人暮らしをはじめる前に 教えてもらい
下宿に遊びにきてくれた人には まずこの料理を作った思い出の一品。
京都駅のとあるパン屋さんのエビカツサンドイッチ。
学生時代、ひとり、部屋でかぶりついた、
解放感と寂しさの入り交じった ちょっぴり複雑な味。
地元の商店街にある、ちっぽけな百貨店。
そこの喫茶コーナーでだけ食べられた
パンケーキのほのかに甘いサンドイッチ!
(いわばホットケーキで、ツナのマヨネーズ和えやチーズが挟んである)
受験に失敗した3月、泣き疲れて眠ってしまった夕暮れに
無言で食べた しょっぱい羊羹。
などなど。
特別な場所や 特別な音楽があるように 誰にでも特別な食べ物の記憶があると思うのです。
それは特別おいしいとか 特別高価だとかではなくて、
個人的な空気がことさら濃密にまとわりついたような 食べ物の記憶。
手作りであるとか否かとか、好物だとか否などという問題ではなく
食べ物そのものへの 不思議な執着や、思い出がある食べ物。
フルーツタルトや母のチキン料理などは
私のそういう特別な食べ物です。
私はグルメでも、とりわけ料理上手というわけでもなく
冷凍食品のお世話にもなる普通の主婦ですから
若い年代向けの雑誌にさえ「お取り寄せ食材」なんて軽く載る時代にしては
食べ物へのこだわりは 希薄な方かもしれません。
けれども 食べ物話が好きという点においては
人一倍なのではないかと思うことがあります。
食べ物話といっても どこのなにが美味しいという類のものではなく
誰かの特別な一皿を、そっと文章で味わうこと、
その美味しい時間に目がないのです。
私達の生活において、食事の時間は欠かすことはできませんし
食べ物ほど身近で、いろんなストーリーを秘めたものもないかもしれません。
ですから エッセイでも小説でも、食べ物の話、食事のシーンを
端折らずきちんと描ける人は どこか安心しますし
誰が何をどんな風に食べているか、
またその食べ物にどんな想いを寄せているかを知ることには
えもいわれぬ不思議な味わいがあるのです。
文章で味わう一皿、それもまた格別なご馳走!
とびきりおいしい3冊をご一緒に。
「貧乏サヴァラン」 森 茉莉 |
|
「温かなお皿」 江國香織 |
‘私は食いしん坊のせいか、 スウェーターの色なぞも 胡椒色、ココア色、丹波栗の色、 フランボアズのアイスクリーム色 なぞがすきで、又似合うのである’ たいそうなテーマで物書きができる人も ‘いただきがこんがりと、狐色に焦げた |
・外は木枯 内はフウフウ ・西部劇とショパンと豆と ・紅茶のみのみお菓子をたべて ・とまとはむぽてと この目次だけで どきどきしませんか? ‘私のおいしいと思うのは銀の盆にのった 後書きにそう書かれていらっしゃる通り |
食べ物に関する小品ばかりを集めた 美味しくて やがてせつなき短編集。 私達の中に潜んでいる、 些細だけれど無視できないでこぼこの感情が 丁寧に、ひょうひょうと そして どこか滑稽に描かれています。 ・さくらんぼパイ ・南ヶ原団地A号棟 ・冬の日、防衛庁にて が特に好き。 この本ではないけれど |