冬時間
大人になっても
ラタトゥユとか、花火とか、カーキ色のワンピースとか
今思えば それなりに夏の愉しみを享受していたのかもしれないけれど、
それでも今年の夏は いつにも増して過ごしにくく、
クーラーなぞ役に立たない熱のこもった鉄筋のアパートの部屋で
ただ一日一日を堪え忍ぶように、暑さが通り過ぎるのを待っていました。
山や海を楽しむ健全さが欠如している上、
暑いと思考を整えることさえできなくなる質なので、
なんとなく中途半端な気持ちのまま、やりすごす毎日。
そして、それは熱帯夜にやってきた。
秋。
「大気に秋のにおいがある。酵母に似た、甘ったるくしめったにおい。
煙と、そして腐れのにおいもかすかにあって、
わたしの胸はなつかしさに満たされる。
なにがなつかしいのかはよくはわからないけれど、
このにおいがとても好きだ。
秋は、いまもむかしもわたしの愛する季節である。
大人になれば秋なんていやになるさ、とよく言われた。
のびやかな夏が終わって、一年がまた、休眠の冬に向けて
衰退してゆく季節ではないか、と。
そのうちきっと春のほうが好きになる。
すべてが希望に輝いて、芽吹き、花咲き、緑萌える春のほうが
好きになる、と。
けれどもそうはならなかった。
わたしはいまでも秋が好きだ。」*
心の奥で何かが共鳴し、少し体温が上がる。
胸の上に本を置き、
その上昇を嬉しく確かめる。
もちろんそれは決して不快な高揚ではなく、
明らかに自分も思いだしているだけなのだ。
秋の大気のことを。
なつかしさに満たされるそのにおいのことを。
大人になれば、なんて誰が言ったのだろうか!
そして、ある日突然、
キッチンの窓から涼やかな風が入り込む。
大人になっても、私もまた、秋が好き。
秋そのものの全てを愛しているし、
(ええ、街路樹の色も、弦の聴きたくなる夜も、高く澄んだ空も、
夕風にのってくるお夕飯の匂いがどこか寂しげなことも、全て!)
次にやってくる大好きな冬への準備期間、という感じもいとおしい。
いつか誰かに聞かれたら、
私もためらいもなく答えるだろう。
大人になっても私は秋が好きだ、と。
*「イングランド田園賛歌」スーザン・ヒル(晶文社)のエッセイより