冬時間
そのまま おやすみ
チャイルドシートに赤ちゃんを乗せるのは
なかなか 大変。
車の天井に頭をぶつけないように、とか
ベルトや留め金をうまく調節したり、とか
そして もちろん赤ちゃんが不快にならないように、などと気をつけつつ
日に日にずっしり重くなる娘を抱えながら作業は
緊張感さえ伴う ちょっとした一仕事だ。
そして その間、娘はといえば
120%こちらに身を任せて、のんびり空を見ている。
かぎりなく安心しきっている娘と
気を配ることの多さに 必死な私。
なにより、この子は全てを私にあずけている、
という不思議。
そういえば 私が小さかった頃、
車の運転ができない母は、自転車の後ろに私を乗せて
あちこち連れていってくれた。
買い物に、歯医者に、図書館に、プールに。
そして私は(同じように自転車に乗せられた妹も)
すぐ 眠ってしまうらしかった。
「本当に危なかったんだから」
母はそんな娘達を起こしながら ペダルをこいだという。
私達もきっと安心しきっていたにちがいない。
お母さんと一緒、
子供にとってそれは だから大丈夫だ、ということ。
その安心感が眠りを誘ったのだろう。
そして 今なら分かる。
あの時の私達の絶対的な安心感は
母の必死の上にあるものだったのだと。
今まで 大はしゃぎしていた娘が、
あくびをはじめたかと思うと
手足を投げだして
それはそれは 気持ちよさそうに眠りはじめた。
なんという無防備。
なんという寝顔。
ああ、私にも覚えがある。
居間ではしゃぎすぎて
そのまま眠りに落ちてゆく時の、あの心地。
抱っこで子供部屋に運んでゆかれる時の、あの心地。
全身を安心でくるまれることのできる
子供の幸福。
あの時の私も こんな顔して眠っていたのかな。
大丈夫。
パパとママがいるからね、
そのまま、おやすみ。
(2002.6.15)