冬時間
春は万年筆
三月の半ばを過ぎ、卒業や入学祝いのものの広告が
新聞のチラシで目立つようになると
私はつい筆記具のそれを探してしまいます。
桜の写真やお祝いの言葉と共に、万年筆が紹介されている
チラシが入っていないか、探しているのです。
だいたい 今どき、そんな広告などないのかもしれません。
万年筆だなんて 日常的ではないことも分かってはいるのですが
無意識に、でもどこかで期待しながら 探してしまうのです。
まだ私が子供の頃
当時私が暮らしていた町では 毎年春近くなると、
「勉強堂」なぞという名前の筆記具屋さんが、
お祝いの筆記具のチラシを出していました。
そこは、文房具屋ではなく、筆記具のみを扱う店で
店先の小さなガラスケースには あの頃も、そして今でも
万年筆はじめとする いくつかの筆記用具、
たいそうな値がついた 皮のペンケースなどが
ひっそり並べてあるのです。
その店が 春に出す広告。
それはその店のささやかさにしてみれば
どこか不似合いで妙に華やいだものだったのですが
その明るさがいかにも春らしく
それは紛れもなく 私にとって春の風物詩でした。
そして 万年筆、
まだ12歳の私に、それはとても素敵に映る筆記具でした。
あのペン先の美しさも、まんねんひつ、という響きも、
いや 万年筆という存在そのものが有無をいわせずに
とにかく魅力的だったのです。
インクを入れ替えながら 使うということも一興でした。
ですから中学入学祝いに何がいいかと聞かれたとき
私は迷うことなく万年筆をリクエストしたのでした。
こうして「勉強堂」のガラスケースから はじめて私が自分で手にしたのは
pilot社の小豆色の万年筆。
握るとひんやりして 手によくなじみました。
万年筆が他の筆記具に比べて書きやすかったかと問われれば
それは もちろんそうではありません。
ペン先に気を使い 早く書くことはできませんし
薄いノートの裏には見にくい跡が残ることもしばしばありました。
それでも、それ以来、その万年筆は私の大切な筆記具となりました。
使うのはいつも 青いインク。
他のどんな色よりも青色が似つかわしい気がして。
万年筆で書いた字の色は、数日経つと 微妙に変化するのですが
その変化のさまは やはり青インクのものこそが私好みだったのです。
セーラー服のスカーフさえ うまく結べないくせに、
今思えば 随分こしゃまくれた中学生だったのかもしれません。
その小豆色の万年筆は 結局 高校を卒業するまで使いました。
書くことが多くなった高校に入ってからは さすがに
いつも、というわけでありませんでしたが、
万年筆が筆箱に入っていないときはありませんでした。
大学に入る前、実はその万年筆をどこかに
なくしてしまっって
いくら探しても見つからなかったのですが
結局 両親は大学入学祝いに また万年筆を送ってくれました。
同じように 小豆色をしたシンプルな万年筆を。
使い心地の良いボールペンや手軽なPCのキーボードが
私の筆記用具となって もうかなり経ちます。
それでも、あの万年筆は今も必ず筆箱に入っています。
10代はじめの頃のように、あれほど活躍する日はもう来ないかもしれません。
それでもこんなに私をときめかせてくれた 筆記具は他にはないですし、
きっとこれからもそうでしょう。
今年も春のチラシをより分けながら私は思うのです。
久しぶりに使ってみようかな、万年筆。
春はあけぼの、
そして万年筆の季節でもあるのです。