冬時間
ドトーを待ちながら
車を運転するときは たいていラジオを聞く。
万蔵氏はFM特有のあの「アかるさ」が苦手というけれど
それほど身をいれて聞くとはなしに流しておくのに FMは気楽で調度いい。
テレビでは音楽番組を見ないので そこで流行りの曲を知ることもあるし
それまで知らなかったアーティストとの出会いもある。
これいい!と思って信号待ちの間に、曲名を書き留めることもしょっちゅう。
小谷美沙子の「stone」を知ったのは 確か遮断機を待っていた25歳の秋だった。
しかし、なんといってもラジオの醍醐味は不意打ちの衝撃だと思う。
それを警戒しつつも、期待しながら私はラジオを入れるのだ。
思いもかけない曲が思いもかけなかった時に ふいに流れ出す。
その不意打ち効果は結構大きい。
一時期聞き込んだ曲や、特別な思い出がある曲、自分では封印してしまった音楽・・・ならなおさら。
メロディーは偉大で 一瞬にしてすべてをワープさせる力を持っているものだから
心構えもないまま 時間が逆戻りしてゆく。
普段 忘れてしまっているものが、鮮やかに蘇ってくる。
そのさまや怒濤のごとき。
四月。仕事帰りの金曜の夜。
ラジオから”あの曲”がいきなり流れてきた。
イントロでちょっと固まる。
ちょっと待ってよ、と思ってももう遅い。
長い髪をしていた。
演劇をしていた。
恋はしていなかったけど 魅力的な人に囲まれていた。
萌葱色のフレアスカートをはいていた。
新歓だ、お花見だと、コンパの夜が続いた。
そんな夜の歌だった。
10代終わりの歌だった。
どこか微熱にほてっていたような学生時代の春にまで、
有無を言わさず 私は連れもどされてしまったのだ。
ほんのワンフレーズで。
はじめ切なく、やがて心地よい懐かしさに。
やられたなあ・・・
そして、私も歌い出す。
アクセルをぐんと踏んで、声も大きく。
夜なんだもん、誰にも見られやしない。
こんな大きな声をだしたのは 久しぶりだ。
テールランプの列が美しい。
不意打ちはないでしょ、と思いながらも
私の運転にはいつもラジオが欠かせない。
今日もアクセル踏みながら、
怒濤のおとずれを待っている、
桜の盛りなこの町で。