冬時間
3月のリパッティ
日向を歩くと 汗ばむほどの陽気。
それでもアパートの踊り場には まだひんやりとした空気が満ちていて
立ち止まって 少しほっとします。
もうしばらくすると 息苦しいほどの若々しさで町を埋め尽くす
街路樹や 制服姿の学生達が
今はまだ 淡い光のベールに包まれているような季節。
3月という清潔な月がやってきて
リパッティの音楽を聴くことが多くなりました。
ディヌ・リパッティ
私が好きなピアニストです。
彼について知っているのは
ルーマニア生まれで
若くして亡くなったピアニストであるということ、
そして、あとはただ
彼が残した3月のようなピアノのみ。
執拗に語りかけてはきません。
感情をかき乱すほど訴えてもきません。
だからといって
抑えられたものの 窮屈さも
物足りなさもありません。
彼の弾くピアノの音は、
ただ ぽとん、と胸に落ちてきます。
それは必要以上に 波紋も余韻も残さない
真っ直ぐに美しい音楽。
まっさらに清潔な音楽。
はじめに聴いたのはバッハでした。
音の粒がとても丁寧で 無駄が無く
それでいて 限りなくメロディアス。
どこにもない 忘れられないバッハでした。
「舟歌」も特別。
情感たっぷりに演奏されることの多い ショパンのこの名曲も
リパッティが弾くと バッハと同じだけの敬虔さ。
ショパンの憂いやノスタルジーを
白日の下にさらすような 冷静で清々しいピアノでした。
その控えめな美しさたるや
例えるなら まるでまだ少し冷たい3月の水のよう。
彼の「舟歌」を聴いていると
その光と水の戯れに いつまでもたゆとっていたくなります。
きらきらと陽を受け止めた水面にたつさざ波、
水面を渡る風、
川辺にはしなやかにそよぐ木々、
絶えず変化はあるにもかかわらず
それは まるで凪の中にいるような平和な音楽風景。
もうすぐ春本番。
咲き誇る花々や、にぎやかな新生活のその前に、
リパッティのピアノを。
爛漫になる一歩手前の春に
ふさわしい音楽です。