冬時間
子供の情景・私の情景
・What it tells me・
ああ、こういうの分かる分かる。
はじめは失敗ばかり。
何度も繰り返すうちに、
少しずつコツが分かる、
コツが分かると楽しくなる、
楽しくなると もっともっとやりたくなる。
そうやって体得してゆく過程には
得も言われぬ喜びがある。
私もそれを知っている。
兆候は確かにあったのです。
足を伸ばしては何度もおしりを持ち上げていたこのごろ。
そろそろ立ちたくて むずむずしてるんだと思っていたら
この数日で しっかり‘たっち’が出来るように。
支えになる物があったり
手をさしのべてあげたりすると
何度でも、何度でも、
しつこいくらいに 立ちたがる。
そしてそれを繰り返すたびに、
立ち上がる一連の動作がスムーズに、
どんどん上手になってゆく。
それが面白いらしく、
更に、何度も何度も立ち上がろうとする。
そしてまた一段と 進歩する。
こういうの分かる分かる。
楽しいんだよね。
でも、最近の私、
そうやって手に入れたものはあっただろうか・・・?
ふと考えて、
娘を支える手に、力が入る。
私だって、負けてはいられない。
しりもちをついた娘が
また立ち上がろうと、手を伸ばしてきた。
・ストロベリーシェイク・
「久しぶりに1人でゆっくりしておいで」
そんな言葉に送り出されて
まずは出産後、実にはじめての美容院。
それからお買物。
1人って なんて身軽!
重いベビーカーがなければ
段差や階段も関係ないし、
途中でぐずるオチビさんがいなければ
気になっていたものを心ゆくまで選ぶことができる。
1年前まで、こんなに身軽だったんだなあ。
手入れをしてもらった髪も軽く、
浮かれた気分でしばし1人歩き。
「でてこない?」
でもね、結局 電話して
旦那さまと娘を呼び出してしまった。
しかも着いたばかりのふたりに
疲れたから、とわがままを言って
わざわざモール内のファーストフード店へ。
ストロベリーシェイクを
3人で分け合う。
ホントは私、
これがしたかったのかもしれないね。
1人で自由を決め込んで
それはそれで とても楽しかったのだけど
すいすい歩き回っていた時に
目に入ってしまったの、
シェイク飲んでるオチビさん連れの家族の光景が。
きっと うらやましくなってしまったんだね。
トレイやナプキンを嬉々として床に落とすオチビさんを
しかめ面でたしなめながら
私もシェイクが飲んでみたいなあ。
ひとりでお座りができるようになったオチビさんに
ストローの端っこでシェイクを分けてあげたいなあ。
そんな風に思ってしまった。
そもそもシェイクなんて何年ぶりだろう。
あまったるいシェイクも 今日は 格別。
にぎやかしいお店も 今日は 特別。
ストロベリーシェイクは
甘く冷たく
ゆっくり喉をすべり落ちていき、
はしゃぐ娘の背後には、
七夕飾りが揺れている。
「元気に生まれてきますように・・・」
そんな願いをかけた一年前に思いを馳せながら、
今、私は娘の口元を拭いている。
・思い出す瞳に・
声をかけようとして
ためらわれてしまった。
だって うっとりとしたその瞳は
何かを思い出しているかのようで
気軽に立ち入っちゃいけない気がしたから。
生まれて数ヶ月のあなたも
もう、何かを思い出して
そんな目をしているの?
そもそも、
思い出す、ということを
人はいつからするようになるのだろう。
いつか読んで心に留まった文章を
もう一度 ひっぱりだしてみる。
「子供は楽しいことを1つ経験すると
そのことについて思いめぐらし
自分の心の収まりのよい場所に
収まりのよい形でそっとしまいます。
暇なときにはとりだして
うふふ、とうれしがって またしまいます」
思い出す瞳の 謎が解けた!
うふふ、って嬉しがって
あんな瞳になってしまったんだ。
一体何を思い出していたのかな。
ちょっとこっそり覗いてみたい。
(引用文「あかんぼぐらしーDays with the baby-」
松井るり子・学陽書房)
・手間暇愛情・
愛情って言葉からは
もっとほんわかしたものをイメージしていた。
ほんわかして、目に見えないもの。
でも、それはたとえば
時間をかけて
野菜を小さく切り、煮て、裏ごしして、
時間をかけて 食べさせて
そのほとんどを床に落とされたとしても
そのほとんどを残されたとしても
また 翌日もそれを繰り返すこと。
明日もあさってもしあさっても繰り返すこと。
汗だくになって 裏ごし器と格闘していること。
そんなことだとも 言えないかしら?
手間暇に力尽き果て、
自分はたとえコンビニ弁当をつつくことになっても
やっぱり今日も小さなお鍋でおかゆを炊いてしまうこと、
そんなことだとも 言えないかしら?