冬時間
夜の音
先日、久しぶりに夜の音を聞いた。
アパートは夜中でも車の行き来する大きな道路に面しているのに
それは紛れもなく"夜の音"だった。
学生時代の話。
顔を出していたカメラ部で追い出しコンパが開かれた。
カメラ部の追いコンにはちょっと変わった伝統がある。
1次会は皆が揃って鍋を囲み、2次会、3次会とグループごとに分かれ別行動になる。
カラオケ班もあれば、ショットバーで語る派もいた。
そうやって過ごし 日付も変わる頃になると
ある家に再び、皆が集合するのだ。
京都の町中にあるそれはただの一軒家。
決して看板を掲げた宿ではないけれど、誰かが学生に提供してくれているのであろう
本当にただの古い2階建ての民家だった。
すっかり酔った、あるいはその酔いさえさめた部員はその家でめいめいに夜を明かす。
要するにそこは 終電後も遊んでいたい私達のお助け宿のようなもので
ただ畳に倒れ込むものあり、旧式のテレビで深夜番組を見ているものあり、
とにかく自分が好きな部屋で 適当に好きに時間を過ごす
一つ屋根の下の夜。
なんとなく2階の部屋にいた。
一人、また一人と集まってきて、そこに膝を抱えた数人の輪が出来た。
寒い夜で、雨まで降りだし、屋根のトタンを響かせる。
煙草の煙が充満する部屋で それは不思議な時間だった。
追いコン用に着飾った服はすっかりしわだらけで
お化粧もとれている。
わずらわしいイアリングなど とっくにポケットの中だ。
こういう場にありがちの色めいた噂話には 不思議とならず
暗闇と寒さの中での特別なシチュエーションも手伝ってか
不思議な仲間意識が生まれていた。
例えて言うなら、私達は大人の男でも女でもなく、夜の中にポツンと取り残された子供たち。
夜はいつもよりも濃く。
皆はいつもより身近でいとおしく、
押入からひきずりだしたタオルケットで膝を温める。
時折訪れる 居心地の良い沈黙と静寂。
その時、私は確かに夜の音を聞いたのだった。
それは紛れもなく夜の音。
大勢に囲まれていながらも、その静かで懐かしい音がはっきりと私には聞こえた。
そして私はどうしても聞いてみたくなった。
「夜に音ってあるよね。」
昼間の部室ではきっとそんなことを言おうなんて思いもしなかっただろう。
きっと分かってくれる、
しかしその夜は そんな確信があった。
夜に音があることに気づいたのは、いつだったろう。
思い出せる最初の記憶は随分昔、
まだ小さな借家に住んで 両親と一緒に寝ていた子供の頃だ。
隣から両親の寝息が聞こえてきて 私は決して一人ではないのに
その音を聞くと 妙にしんみりなった。
くぐもるような、闇の底から響いてくるような音。
自分の表現力のなさによるものだけでなく
こればかりは言葉で書きあらわすのは不可能に思う。
擬態語も役にはたたない。
もし敢えていうならば、低いミツバチの羽音のような音とでも言えるだろうか。
夜そのものの、音。
それを聞くと夜の中に一人 閉じこめられたような思いがして
しばらくは寝付けない。
暗闇に慣れた目で確かめるいつもの部屋も 昼間とは別の顔をして、
時計の針の音はやけに神妙だ。
朝が来て、雨は上がった。
始発を待つ地下鉄の駅で昨夜の妙な親密さが 皆、どこか気恥ずかしく
もう全て忘れたふりをして すっかり大人をきめこんでいた。
でも 私は確かに確認した。
夜には音があることに 気がついている人が他にもいることを。
もっとも それは個人によって違うものなのかもしれない。
でもやはり夜には夜の音がある、
夜そのものの音がある。
今でも私はそう思っているのです。
あなたは聞いたことがありますか、夜の音を?