Blue willow のある食卓
ーEveryday with Bluewillowーー
小学生の頃、通学路にお寺があり、 大きな松の木が植えられていました。 時季がくると、落ち葉が道いっぱいに。 大きな松ですから、葉も長く しかも三葉だったので まるで髪を三つ編みするように、 枯れ松葉を編み編み、登下校したものです。 先月、京都を訪れた時に買ったほうじ茶は 香り豊かで、軽やかな飲み口。 缶のからっとした枯色に、 松葉を編む感覚が思い出されます。 そんな思い出のせいか、 つい手にとってしまう松葉のモチーフ。 「かわいい」とつぶやくと 「かわいい?』と聞き返されましたが、 今や世界のコトバとなった「KAWAII」は 懐が深いのだ。 この奥ゆかしさ、線と色使いの妙、 小さく画かれた松葉の存在そのもの。 「かわいい」の一言にまとめちゃってもいい・・よね? 船形の豆皿は、先月、新門前通の骨董屋で 丸いほうは、10年以上前、 こちらも京都の古美術店で出会いました。 (2019.11.10) 連休中日は、グレイの雲に覆われて、 物語の一節を借りると "静かな、灰色の、真珠のような感じの日”。 9年ぶりに、英国の小説家ジョーン・G・ロビンソンの 「思い出のマーニー」を読んでいます。 ラストに近づいてくると、 自分で結末を見届けたくて、各自で読みましたが 当時、物語の大半は、 小学4年生だった娘と声に出して読み合ったものでした。 日本語訳が絶妙で、 読む方も、聞く方も、 終始、静かな水音にたゆとっているような心地に。 まだ赤ちゃんだった息子以外、家族3人どっぷりその世界に魅了され 物語に出てくる「アッケシ草」を見に出かけたりしましたっけ。 センター入試の出願も終わり、 いよいよ受験モード。 随分前のことなのに、 私自身、この時期のことは今でもはっきり覚えています。 じわじわと追い詰められるような焦燥感に苛まれ 心の中にいくつもの拠り所を見いだしては 自分を保つことに必死だった日々。 娘の胸の内は分かりませんが 思い出の物語に何か求めるものでもあったのでしょうか。 ひと月くらい前に、 昔、一緒に読んだマーニーの文庫版を そして、この期に及んで楽しみだけの読書をすることに後ろめたさを感じるのか、 原書も一緒に自室に持って行ってしまいました。 実際にはあまり読む余裕はなさそうですが、 ベッドサイドに置かれた二冊が お守りのようにも思えてきて・・・ なんていうもっともらしい理由によって、 私は私で、愛蔵版を購入しました。 そして、当時の赤ちゃん、今はあの頃の娘と同じ年になった 小学4年生の息子と ふたたび、じっくりと読んでいるところです。 今回はもっぱら、こちらが読むばかりですが 時折、入れられる小学男児らしい茶々をかわしながら、 それでもやはり、満ち足りた読書時間に変わりはありません。 (2019.11.03) 丸善に来年のカレンダーを受け取りに行った帰り、 後楽園周辺をふらり。 秋の風、秋の陽射し。 川べりでコンビ二のパンをかじって、 川沿いを散策。 このエリアをゆっくり歩くのは久しぶりで 遊覧ボートが「桃」になっていて、びっくり。 見ちゃうとやっぱり「どんぶらこ」したくなるよね。 行きつ戻りつが長かった季節も ようやく腰を据えてくれたみたい。 夕暮れどきは さすがに薄ら寒くて エプロンを身につけると 包まれた身ごろの温もりに ほっとする。 ぜんs 秋の日はつるべ落とし。 おもては既にとっぷり暮れて、 根菜と鶏肉をしづかに煮込む。 味噌も入れて、こっくりと。 とある神無月の休日。 (2019.10月) |
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